ブランコ(ポルトガル語: Branco)ことクラウジオ・イブライム・ヴァス・レアル(ポルトガル語: Cláudio Ibraim Vaz Leal、1964年4月4日 - )は、ブラジル出身の元同国代表サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはディフェンダー。ロベルト・カルロスが歴代1位だと考えるサイドバックの選手として名前を挙げ、自身も大きな影響を受けたとする選手であった[1]。
経歴
ブラジル代表として1986年、ワールドカップメキシコ大会でレギュラーを務め、フランス戦では値千金のPKを獲得するが、ジーコが外し、PK戦の末敗北した[2]。続く1990年のワールドカップイタリア大会では、決勝トーナメント1回戦のアルゼンチン戦において、アルゼンチンがブラジルの選手の体調が悪くなるようにと、スポーツドリンクの中に意図的に混入したものを飲んでしまい試合中に体調を崩し[3]、チームは敗れた。1994年のワールドカップ・アメリア大会にも出場し、レオナルドにレギュラーの座を奪われるも、そのレオナルドがアメリカ戦でのラフプレーで決勝まで出場停止となると、準々決勝のオランダ戦ではFKで決勝ゴールをマーク[4]、決勝のイタリア戦でもプレーし延長PK戦でのPKを成功させるなど[5]、優勝に貢献した。ブラジル代表として72試合出場、コパ・アメリカに2度出場しいずれも優勝を果たした。
クラブではブラジル国内だけでなく、セリエAのブレシア、 ジェノアや、ミドルズブラなど海外のクラブでもプレーした。1990-91シーズンから3シーズンプレーしたジェノアでは、1990年11月25日、サンプドリアとのジェノヴァダービーにおいて直接FKから決勝点を決め、チームが13年間もの間、勝利出来ないでいたサンプドリアからの勝利に貢献した[6]。1991-92シーズンのUEFAカップでは、リヴァプールとの準々決勝第1戦で直接FKを決めるなど、準決勝まで進出した[7]。
引退後はCBFでユース代表のテクニカルディレクターとして活躍し、若手の育成に注力していた。
代表
脚注
- ^ “世界一のサイドバック」とは? ロベルト・カルロスが選ぶ歴代ベスト5”. livedoorスポーツ. 2023年2月25日閲覧。
- ^ “ジーコのPK失敗、夢のような90分間”. Number. 5 April 2021閲覧。
- ^ “バウド マラドーナの標的にされた元祖「フェノメノ」が日本にたどり着くまで ページ2”. sportiva. 5 April 2021閲覧。
- ^ “なぜ多くのブラジル国民がセレソン94を心から愛せないのか?”. サッカーマガジン. 5 April 2021閲覧。
- ^ “Brazil-Italy Jul17 1994 Match sheet”. www.transfermarkt. https://www.transfermarkt.co.uk/spielbericht/index/spielbericht/936193 5 April 2021閲覧。
- ^ “Il derby vinto dal Genoa grazie alla sassata di Branco: diventò una cartolina di Natale”. GOAL (2021年3月3日). 2023年8月31日閲覧。
- ^ “The season when Genoa nearly took over European football”. The Guardian (2021年3月3日). 2023年8月31日閲覧。
外部リンク
- クラウディオ・イブライム・バス・レアル - National-Football-Teams.com
ブラジル代表 - 出場大会 |
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ブラジル代表 - 1986 FIFAワールドカップ |
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ブラジル代表 - コパ・アメリカ1989 優勝 (4回目) |
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ブラジル代表 - 1990 FIFAワールドカップ |
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ブラジル代表 - 1994 FIFAワールドカップ 優勝 (4回目) |
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