ジョン・リード
この項目では、アメリカのジャーナリストについて記述しています。その他の同名の人物については「ジョン・リード (曖昧さ回避)」をご覧ください。 |
ジョン・リード | |
---|---|
1915年頃のリード | |
生誕 | ジョン・サイラス・リード (1887-10-22) 1887年10月22日 アメリカ合衆国、オレゴン州ポートランド |
死没 | 1920年10月17日(1920-10-17)(32歳没) ロシア社会主義連邦ソビエト共和国、モスクワ |
死因 | ツツガムシ病 |
墓地 | クレムリン共同墓地 |
国籍 | アメリカ |
教育 | ハーバード大学 |
職業 | ジャーナリスト |
政党 | アメリカ共産労働党 |
配偶者 | ルイーズ・ブライアント |
署名 | |
テンプレートを表示 |
ジョン“ジャック”・サイラス・リード(英語: John "Jack" Silas Reed, 1887年10月22日 - 1920年10月19日)は、アメリカ合衆国出身のジャーナリストおよび活動家。
人物
リードはオレゴン州ポートランドで生まれた。ポートランドの住民は彼を誇りに考えているが、自著によるとリードはポートランドに愛着を持っていなかった。1910年にハーバード大学に通うためにポートランドを去り、二度と戻らなかった。彼は労働者ストライキへの同情的な報道およびメキシコ革命のルポルタージュで有名になった。
リードは第一次世界大戦中のヨーロッパでロシア革命の始まりを聞き、1917年にロシアへ向かった。彼は自身の体験やウラジーミル・レーニンへのインタビューなどをロシア革命のルポルタージュとしてまとめ、『世界を揺るがした10日間』を刊行した。この書には後にレーニン夫妻(ウラジーミル・レーニンとナデジダ・クルプスカヤ)が序文を寄せ、「世界の労働者達に無条件で推薦する」と賞賛した。
リードと作家、女性運動家である彼の妻ルイーズ・ブライアントは作家のユージン・オニールと親しかった。
1920年、リードはモスクワでチフスのため死去した。現地で葬儀が行われた後、ソ連の英雄として赤の広場にあるクレムリンの壁墓所に埋葬された。アメリカ人でこの場所に埋葬された人物は、アメリカ共産党書記長であったチャールズ・ラッテンバーグ(英語版)と世界産業労働組合の指導者ビル・ヘイウッド(英語版)、そして彼だけである。
没後
1929年に、ジョン・リードの名を冠した共産党のプロパガンダ機関である革命的作家集団「ジョン・リード・クラブ」がニューヨークで結成された[1]。画家の石垣栄太郎や野田英夫ら在米の左派系日本人作家も参加した。機関誌として『ニュー・マッセズ』『パーティザン・レヴュー』を刊行(後者は2年で休刊、再刊後は反政治・反スターリニズムを掲げた文芸誌となった[2])。
1981年の映画『レッズ』は、彼の後半生を描いている。
日本語文献
- ※『世界を揺るがした10日間』は、世界を揺るがした10日間#日本語版項目を参照。
- 『反乱するメキシコ』 野田隆ほか訳、筑摩叢書、1982年
- 研究・評伝
- 松浦総三ほか 『ルポルタージュは世界を動かす ジョン・リードから現代へ』、大月書店 1990年
- タマーラ・ハーヴィ 『時代の狙撃手 ジョン・リード伝』、飛田勘弐訳、至誠堂選書 1985年
脚注
外部リンク
- プロジェクト・グーテンベルクのe-テキスト『世界を揺るがした十日間』
関連項目
- ボードマン・ロビンソン - 1916年にリードが出版した『The War in Eastern Europe』の挿絵画家
- 表示
- 編集
この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。 |
- 表示
- 編集