ジョヴァンナ2世 (ナポリ女王)
ジョヴァンナ2世 Giovanna II | |
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ナポリ女王 | |
ジョヴァンナ2世と2度目の夫ジャック2世 | |
在位 | 1414年 - 1435年 |
出生 | 1373年6月23日 ヴェネツィア共和国、ザダル、ダルマチア |
死去 | 1435年2月2日 ナポリ王国、ナポリ |
埋葬 | ナポリ王国、ナポリ、サンティッシマ・アンヌンツァータ・マッジョーレ聖堂 |
配偶者 | オーストリア公ヴィルヘルム |
ラ・マルシュ伯ジャック2世 | |
家名 | アンジュー=ドゥラッツォ家 |
王朝 | ナポリ・アンジュー朝 |
父親 | カルロ3世 |
母親 | マルゲリータ・ディ・ドゥラッツォ |
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ジョヴァンナ2世(Giovanna II, 1373年6月23日 - 1435年2月2日)は、アンジュー=ドゥラッツォ家のナポリ女王(在位:1414年 - 1435年)。名目上はエルサレム、シチリア、ハンガリーの女王でもあり、また王位継承以前にはオーストリア公妃でもあった(ドイツ語名はヨハンナ・フォン・アニョウ=ドゥラッツォ Johanna von Anjou-Durazzo)。
生涯
ダルマチアのザダルで、ハンガリー王を兼ねたカルロ3世とマルゲリータ・ディ・ドゥラッツォの間に生まれた。1414年、正嫡の子をもうけずに死去した弟ラディズラーオの王位を41歳で継承した。
王位継承以前に内オーストリア公ヴィルヘルムと結婚したが1406年に死別し、即位後の1415年にブルボン家傍系(ただし後にフランス王家となる家系には近い)のラ・マルシュ伯ジャック2世と結婚した。いずれの結婚でも子は得られなかった。
ローマは教会大分裂で混乱に陥っていた隙にラディズラーオが占領していたが、コンスタンツ公会議で教会大分裂も終息、新たに選出されたローマ教皇マルティヌス5世はローマ入りを望みナポリと交渉、ジョヴァンナ2世もローマ返還を受け入れて1419年10月に教皇の代理人の手によりジョヴァンナ2世のナポリ王戴冠式が挙行、マルティヌス5世は1420年にローマ入りを果たした[1]。
しかし、後継者がいなかったジョヴァンナ2世は1421年、アラゴン王アルフォンソ5世を養子とし、アルフォンソ5世はナポリに入ったが、ジョヴァンナ2世は翌1422年に継承者をフランスのアンジュー公ルイ3世・ダンジューに変更した[2]。1434年にルイ3世が子供の無いまま死ぬと後継者を弟のルネ・ダンジューに変更、翌1435年にジョヴァンナ2世が死去した後ルネ・ダンジューがナポリ王となったが、アルフォンソ5世はナポリ攻撃を開始し、7年後の1442年6月12日にルネを追い出しナポリ入城を果たした[3]。
脚注
参考文献
関連項目
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ナポリ国王(1414年 - 1435年) | |
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アンジュー朝 | カルロ1世1282-1285 / カルロ2世1285-1309 / ロベルト1世1309-1343 / ジョヴァンナ1世1343-1382 / カルロ3世1382-1386 / ラディズラーオ1世1386-1389 |
ヴァロワ=アンジュー朝 | ルイージ2世1389-1399 |
アンジュー朝 | ラディズラーオ1世(復位)1399-1414 / ジョヴァンナ2世1414-1435 |
ヴァロワ=アンジュー朝 | レナート1世1435-1442 |
トラスタマラ朝 | アルフォンソ1世1442-1458 / フェルディナンド1世1458-1494 / アルフォンソ2世1494-1495 |
ヴァロワ朝 | シャルル8世 (フランス王)1495 |
トラスタマラ朝 | フェルディナンド2世1495-1496 / フェデリーコ1世1496-1501 |
ヴァロワ朝 | ルイ-ジ3世1501-1504 |
トラスタマラ朝 | フェルディナンド3世1504-1516 |
スペイン・ハプスブルク朝 | カルロ4世1516-1556 / フィリッポ1世1556-1598 / フィリッポ2世1598-1621 / フィリッポ3世1621-1665 / カルロ5世1665-1700 |
ブルボン朝 | フィリッポ4世1700-1707 |
オーストリア・ハプスブルク朝 | カルロ6世1707-1735 |
ブルボン朝 | カルロ7世1735-1759 / フェルディナンド4世1759-1806 |
ボナパルト朝 | |
ブルボン朝 | フェルディナンド4世(復位)1815-1816 |
※1816年、両シチリア王国成立 カテゴリ |