デルフィン・シュトルンク

デルフィン・シュトルンク(Delphin Strungk(又はStrunck)、1601年、恐らくブラウンシュヴァイク - 1694年10月12日、同地)は、北ドイツ・オルガン学派のオルガニスト・作曲家。

生涯と作品

シュトルンクの若いころについては何も知られていない。1631年にメルヒオール・シルトの後継者としてヴォルフェンビュッテルの聖マリア教会(ドイツ語版)のオルガニストになったことが分かっている。1634年にはツェレの宮廷オルガニストになった。1637年にはブラウンシュヴァイクの聖マルティニ(ドイツ語版)教会のオルガニスト職に就き、2年後に正式に雇われた。市庁舎で音楽喜劇を上演したことがあったため、オルガニスト以外の活動もしていたと考えられる。ヨハン・ゴットフリート・ヴァルターの音楽事典によるとシュトルンクは次第に5つのオルガンを任されるようになり、自身の子や生徒をそのオルガニスト職に就けたということである。シュトルンクは、1649年に聖ペトリ(ドイツ語版)の、1667年には聖マグニ(ドイツ語版)のオルガニストとなった。

シュトルンクは、ブラウンシュヴァイク辺りでは有名なオルガニストであった。ヴァルターによると、「オルガンをよく奏し、それにより…外国から多くの学生を引き寄せた」ということである。

シュトルンクは、ハインリヒ・シュッツと交友があった。デルフィン・シュトルンクの息子ニコラウス・アダム・シュトルンクも、同様に音楽家となった。

シュトルンクのオルガン作品には、ハインリヒ・シャイデマンのように、コロラトゥーラがよく用いられ、装飾に富んだ部分と簡素な部分をしばしば交互に配した。シュトルンクは、その他には歌曲を作曲した。

参考文献

  • Horst-Rüdiger Jarck (Hrsg.): Braunschweigisches Biographisches Lexikon. 8. bis 18. Jahrhundert, Seite 683, Braunschweig 2006
  • Max Seiffert (1893), “Delphin Strunck” (ドイツ語), Allgemeine Deutsche Biographie (ADB), 36, Leipzig: Duncker & Humblot, pp. 665–667 

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