ピティオン駅
ピティオン駅 | |
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駅舎 | |
Πυθίου | |
所在地 | 東マケドニア・トラキア地方エヴロス県ピティオン(ギリシア語版、英語版) 北緯41度22分13秒 東経26度37分19秒 / 北緯41.37028度 東経26.62194度 / 41.37028; 26.62194座標: 北緯41度22分13秒 東経26度37分19秒 / 北緯41.37028度 東経26.62194度 / 41.37028; 26.62194 |
所属事業者 | ギリシャ国鉄(OSE) |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | ?面?線 |
開業年月日 | 1873年 |
乗入路線 2 路線 | |
所属路線 | アレクサンドルーポリ-スヴィレングラード線(ギリシア語版) |
キロ程 | 112.0 km(アレクサンドルーポリ(ギリシア語版、英語版)起点) |
◄ペトラデス (4.4 km) (? km) ピティオン停車場► | |
所属路線 | イスタンブール-ピティオン線(トルコ語版) |
キロ程 | 282.200 km(シルケジ起点) |
◄ デミルキョプリュ(トルコ語版) (2.900 km) | |
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ピティオン駅(ギリシャ語:Σιδηροδρομικός Σταθμός Πυθίου)はギリシャ東マケドニア・トラキア地方エヴロス県ピティオン(ギリシア語版、英語版)にある、ギリシャ国鉄(OSE)の駅。
概要
アレクサンドルーポリ-スヴィレングラード線(ギリシア語版)と、当駅から分岐するトルコ方面のイスタンブール-ピティオン線(トルコ語版)の2路線が乗り入れている。2020年現在はアレクサンドルーポリ(ギリシア語版、英語版)-オルメニオ(英語版)間のレギオナルトレインが1日1往復するのみである[1]。2005年7月から2011年2月まではテッサロニキからトルコ・イスタンブールを結ぶフレンドシップエクスプレス(英語版、ギリシア語版)が運行されていた。
歴史
イスタンブールからウィーンまで至る路線上の駅としてオリエンタル鉄道(英語版)(CO)[2]によって建設され、オスマン帝国統治時代の1873年にクレリブガズ駅(トルコ語:Kuleliburgaz Tren İstasyonu)として開業[3][4]。1874年にはクレリブガズ(後のピティオン)からデデアサチ(後のアレクサンドルーポリ)までの112kmの支線が開通した。
第一次世界大戦中、オスマン帝国・ブルガリア・オーストリア=ハンガリー帝国は中央同盟国であることから軍隊と装備品の輸送のための重要な地点となった。そのため1916年12月14日に連合軍により駅近くのエヴロス川にかかる鉄道橋を爆撃し、トルコ方面の鉄道アクセスが途絶えた[5]。1923年のローザンヌ条約に基づき、ギリシャとトルコの間の新しい国境がピティオンのすぐ東のエヴロス川に制定されたため、イスタンブールからブルガリアに向かう鉄道はピティオンで一度ギリシャ入国する必要が生じた。この状態は1971年のトルコ-ブルガリア間を直接結ぶペフリヴァンキョイ-スヴィレングラード線(トルコ語版)が開通するまで続いた。
1944年のドイツ軍撤退中に、鉄道ネットワークはドイツ軍とギリシャのレジスタンスの攻防により深刻な被害を受け、1948年頃に通常の鉄道サービスが再開された。1970年に駅施設および線路はギリシャ国鉄(OSE)の保有となる。1990年代初頭にOSEによる農産物や肥料の輸送が終了すると、貨物輸送量は激減した。また、トルコ-ブルガリア間を直接結ぶペフリヴァンキョイ-スヴィレングラード線(トルコ語版)の開通後はそちらがオリエント急行等が通る幹線となり、当駅自体の需要が低下した。1990年代にOSEはアレクサンドルーポリ-スヴィレングラード線(ギリシア語版)にインターシティサービスを導入した[6]。
2001年、OSEの駅・橋・その他ネットワークの保守を担当することになる関連会社GAIAOSEが設立し、当駅の運営が移管された[7]。2005年12月には旅客と貨物事業の分離が行われ、ギリシャ国鉄グループの関連会社のTrainOSE(後のヘレニック鉄道(ギリシア語版、英語版))が発足し当駅を管理するようになった。2009年のギリシャ債務危機(英語版)により、 OSEの経営陣はネットワーク全体のサービスの削減を余儀なくされた[8]。その結果2011年2月11日、全ての国境を越える路線が閉鎖され、イスタンブール、ソフィアなどへ向かう国際路線の運行・停車が終了した。また、オルメニオ(英語版)・ディカイア(英語版)発着の鉄道旅客サービスはバスに置き換えられた[9]。2019年には土砂崩れのため一時運行が停止した[10]。
2022年9月に、国境を越えた列車の定期輸送が再開された[11]。
隣の駅
(2020年現在)
- ヘレニック鉄道
- レギオナルトレイン
- ペトラデス駅 - ピティオン駅 - ピティオン停車場
脚注
- ^ Myrtsidis, Diamantis (2021). Η Ιστορία του Σιδηροδρόμου στον Έβρο (The History of Evros Railway) (in greek). Nea Vyssa: Myrtsidis. pp. 206–210. ISBN 978-618-00-3174-4
- ^ “Railway Network: Railway station Pythion”. gaiaose.com. 2024年1月6日閲覧。
- ^ I. Zartaloudis, D. Karatolos, D. Koutelidis, G. Nathenas, S. Fasoulas, A. Filippoupolitis, A. (1997) (Greek). Οι Ελληνικοί Σιδηρόδρομοι (Hellenic Railways). Μίλητος (Militos). pp. 115–123. ISBN 960-8460-07-7
- ^ “Trains of Turkey website”. 2016年3月31日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年1月3日閲覧。
- ^ “On This Day - 14 December 1916”. www.firstworldwar.com. 26 June 2020閲覧。
- ^ “Επειδή τα τραίνα είναι γεμάτα ανθρώπους και ιστορίες και όχι μόνο εισιτήρια και αριθμούς…” (18 January 2018). 2024年1月6日閲覧。
- ^ “Home”. gaiaose.com. 2024年1月8日閲覧。
- ^ “Σιδηροδρομικός σταθμός - Μουσείο τρένων”. 2021年10月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年1月7日閲覧。
- ^ “Κυκλοφοριακές ρυθμίσεις στο τμήμα Αλεξανδρούπολη – Δίκαια από την ΤΡΑΙΝΟΣΕ”. Typosthes.gr. 2024年1月6日閲覧。
- ^ “Έτοιμος να ξανασφυρίξει και πάλι ο Οδοντωτός” (10 May 2020). 2024年1月6日閲覧。
- ^ “Evros: "Opened", after years, the borders on the Greece-Turkey railway connection from Pythia”. www.evros-news.gr. 20 October 2022閲覧。
関連項目
- ギリシャの鉄道(英語版、ギリシア語版)
- ギリシャ=トルコ国境(英語版、ギリシア語版、トルコ語版)
アレクサンドルーポリ-スヴィレングラード線(ギリシア語版、英語版) | |
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アレクサンドルーポリ(ギリシア語版、英語版) - フェレス(ギリシア語版) - ペプロス(英語版) - ティヘロ(英語版) - フィラクト(英語版) - ラグナ(英語版) - スフリ(英語版) - マンドラ - ディディモティホ(英語版) - ピアジオ - ペトラデス - ピティオン - ピティオン停車場 - リジオ - ソフィコ - ソウリオ - チェイモニオ(英語版) - オレスティアダ(英語版) - サッコス - カヴィリ - ネア・ヴィッサ - カスタニス(英語版) - マラシア - ディロフォス - ディカイア(英語版) - プレテア(英語版) - オルメニオ(英語版) - 国境 - スヴィレングラード |
イスタンブール-ピティオン線(トルコ語版) | |
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(シルケジ) - |