フランク・デュリックス
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名前 | ||||||
ラテン文字 | Franck DURIX | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | フランス | |||||
生年月日 | (1965-10-20) 1965年10月20日(58歳) | |||||
出身地 | Belleville-sur-Saône | |||||
身長 | 175cm | |||||
体重 | 65kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | MF (CH、DH) | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1984-1988 | リヨン | 104 | (30) | |||
1988-1995 | カンヌ | 179 | (13) | |||
1995-1996 | 名古屋グランパス | 72 | (16) | |||
1997-2000 | セルヴェット | 77 | (13) | |||
2000-2001 | ソショー | 38 | (3) | |||
2001-2002 | カンヌ | 29 | (6) | |||
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フランク・デュリックス(Franck Durix, 1965年10月20日 - )は、フランス出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはミッドフィールダー(センターハーフ)。
来歴
地元クラブからオリンピック・リヨンを経て、1988年にASカンヌに移籍。主将を務めた1993-1994シーズンは6位進出に貢献し、『フランス・フットボール』誌のエトワールドール(Etoile d'Or=シーズン最優秀選手賞)も受賞した。
しかし代表には縁遠く、1994年にEURO 1996予選の代表候補合宿に招集されたのみ。 ただ、自分の絶頂期に代表に加われなかった事を「能力を見極める力が代表に無い」とし、ある時期以降は候補招集も拒否していた。
1995年、アーセン・ベンゲルから誘いを受け、Jリーグの名古屋グランパスエイトに移籍。ここでは浅野哲也とセンターハーフを組み、ストイコビッチ、トーレス、パシらとともにチームの中心選手として活躍、チーム史上初のメジャータイトルとなる天皇杯の優勝に貢献した。1995年3月25日のジュビロ磐田戦でJリーグ初ゴールを決めた[1]。1996年10月」26日のジュビロ磐田戦のゴールがJリーグでは最後のゴールとなった[2]。Jリーグでは通算72試合16ゴールの成績を残した[1]。
退団後はスイスのセルヴェットFC、フランスのFCソショー、ASカンヌでプレー。2002年に現役を引退した。
選手引退後はフランスで多国籍料理のレストラン経営を行っていたが、2015年にベトナムに渡り、ホーチミンに新設されたNutifood JMGの全寮制アカデミーでダイレクターに就き、若手選手の育成に努めている[3]。2018年6月にはベトナム人女性と再婚した[3]。
所属クラブ
- 1984年-1988年 オリンピック・リヨン
- 1988年-1994年 ASカンヌ
- 1995年-1996年 名古屋グランパスエイト
個人成績
国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
1995 | 名古屋 | - | J | 48 | 10 | - | 5 | 1 | 53 | 11 | |
1996 | 24 | 6 | 10 | 0 | 0 | 0 | 34 | 6 | |||
通算 | 日本 | J | 72 | 16 | 10 | 0 | 5 | 1 | 87 | 17 | |
総通算 | 72 | 16 | 10 | 0 | 5 | 1 | 87 | 17 |
その他の公式戦
- 1996年
- スーパーカップ 1試合0得点
- サントリーカップ 2試合0得点
脚注
関連項目
外部リンク
- フランク・デュリックス - FootballDatabase.eu (英語)
- フランク・デュリックス - WorldFootball.net (英語)
- フランク・デュリックス - Transfermarkt.comによる選手データ (英語)
- フランク・デュリックス - J.League Data Siteによる選手データ