リッキー・ハットン

リッキー・ハットン
基本情報
本名 リチャード・ハットン
通称 The Hitman(殺し屋)
階級 ウェルター級
身長 171cm
リーチ 178cm
国籍 イギリスの旗 イギリス
誕生日 (1978-10-06) 1978年10月6日(45歳)
出身地 イングランドの旗 イングランド
グレーター・マンチェスター州
ストックポート
スタイル オーソドックス
プロボクシング戦績
総試合数 48
勝ち 45
KO勝ち 32
敗け 3
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リチャード・"リッキー"・ハットンRichard "Ricky" Hatton1978年10月6日 - )は、イングランドの元プロボクサーグレーター・マンチェスター州ストックポート出身。元WBAスーパーIBF世界スーパーライト級統一王者。元WBA世界ウェルター級王者。世界2階級制覇王者

プロモーターとしてハットン・プロモーションズを主宰している。息子のキャンベル・ハットン、実弟のマシュー・ハットンもプロボクサー。

人物

自身と同じ労働者階級出身のウェイン・ルーニーやオアシスのギャラガー兄弟と仲が良く、ハットンの試合観戦に訪れていた[1]。また、ギャラガー兄弟と同じくマンチェスター・シティFCの熱心なサポーターでもある。

私生活は大変不摂生として知られ、ギネスビールフィッシュ・アンド・チップスが好物であるため毎試合約35ポンドから40ポンド減量しており、試合のない日は度々太った体で公の場に顔を出していてファンの間ではリッキー・ファットンというあだ名がついた[2]

来歴

1978年にストックポートに生まれた。父と祖父はロッチデールAFCに所属していた元サッカー選手。ハットンもユースチームの入団試験を受けたことがある。アマチュアとしてのボクシング歴はそれほど長くなく15歳ぐらいから本格的にボクシングを始める。実家がカーペット内装業を営んでいたことから職人を目指すが、カッターナイフで一度に4本の指を切ったことがあるほど不器用だったため販売員に転職する。しかしこちらでも仕入れ値で販売してしまうなど商才は発揮できなかった[3]

キャリア初期

1997年9月11日に18歳でプロデビューし、初回TKOで勝ちを収めた。

1999年2月27日、空位のBBBofC中部スーパーライト級王座を獲得した。

1999年5月29日、空位のWBOインターコンチネンタルスーパーライト級王座を獲得した。

2000年9月23日、WBAインターナショナルスーパーライト級王座を獲得した。

2000年10月21日、空位のBBBofC英国スーパーライト級王座を獲得した。

2001年3月26日、空位のWBU世界スーパーライト級王座を獲得し同王座を15度防衛した。

コンスタンチン・チュー戦

2005年6月4日、当時長期療養後ではあったがIBF世界スーパーライト級暫定王者シャンバ・ミッチェルを苦もなくKOで下し、同階級で最強と目されていたIBF世界スーパーライト級王者コンスタンチン・チューロシア)を執拗なボディ攻めで11回終了後TKO(チューの試合放棄)で破り王座を獲得した。この試合は「リッキー・ハットン」の名を一躍世界中のボクシングファンに轟かせ、英国内での彼の人気を不動のものにした。

2005年11月26日、WBA世界スーパーライト級王者カルロス・マウサとの統一戦を9回KO勝ちを収め王座統一に成功した。

二階級制覇

2006年ウェルター級への転向を目指し王座を返上した。

2006年5月13日、WBA世界ウェルター級王者ルイス・コラーゾアメリカ)を12回判定勝ちを収めデビュー以来の無敗記録を41戦に伸ばすと共に王座獲得に成功した[4]。しかし、階級を上げての出来は決して良いものではなく、すぐに同王座を返上し階級を元のスーパーライト級に戻すことを発表した。

2007年1月20日、IBF世界スーパーライト級王者ファン・ウランゴコロンビア)を判定で破り王座の獲得に成功し同時にIBO世界スーパーライト級王座獲得に成功した[5]

2007年2月に、同年7月に既に予定されたホセ・ルイス・カスティージョとのビッグマッチを優先させるため、IBF世界スーパーライト級王座の指名挑戦者との指名試合を拒否し、2月10日にIBFから王座を剥奪された。同王座は指名挑戦者だったラブモア・ヌドゥが戴冠した[6]

6月23日に実施されたホセ・ルイス・カスティージョメキシコ)との対戦はブルファイター同士の対決ということもあり激戦が期待されたが一方的な内容で4回2分16秒KO勝ちを収めWBCインナーナショナルスーパーライト級王座獲得とIBO王座の初防衛に成功した[7]

ラスベガスでのビッグマッチ

かねてからラスベガスでのビッグマッチを熱望していたハットンは、ついに2007年12月8日にMGMグランド・ガーデン・アリーナでWBC世界ウェルター級王者フロイド・メイウェザー・ジュニア(アメリカ)と対戦。中量級の無敗のスーパースター同士の大一番であったが、10回TKO負けを喫し、キャリア初黒星となった[8]

2008年5月24日、イギリスランカシャーシティ・オブ・マンチェスター・スタジアムでフアン・ラスカーノ(メキシコ)と対戦し、ジャッジ2者がフルマークを付ける12回3-0(120-110、118-110、120-108)圧勝でIBO王座の2度目の防衛に成功するとともにプロ初黒星を喫して以来の再起戦を勝利で飾った[9]

2008年11月22日、MGMグランド・ガーデン・アリーナでポール・マリナッジ(アメリカ)と対戦し、11回TKO勝ちを収めIBO王座3度目の防衛に成功した[10]

2009年5月2日、MGMグランド・ガーデン・アリーナでマニー・パッキャオフィリピン)と対戦。1回に2度のダウンを喫したのち、2回終盤にパッキャオの左フックで失神させられ、2回2分59秒KO負けを喫しIBO王座から陥落した[11]

ボクサーライセンス剥奪

2010年9月12日、ハットンがコカインを吸引をしている姿がスクープとして新聞の一面を飾り[12]、英国ボクシング統制委員会によりボクサーライセンスを剥奪された[13]

しかし、2012年にライセンスの再交付が認められることとなり現役復帰を宣言する。

現役復帰

2012年11月24日、地元イギリスランカシャー州マンチェスターにて約3年半ぶりの復帰戦としてウェルター級10回戦で元WBA世界ウェルター級王者ビチェスラフ・センチェンコウクライナ)と対戦。ポイントではリードするものの、9回KO負けを喫し復帰戦を白星で飾ることはできず、試合後に改めて現役引退を表明した[14]

2014年5月1日、イギリスのテレビ局のためにフロイド・メイウェザー・ジュニアVSマルコス・マイダナの解説者としてアメリカへ入国予定であったが、ビザの発給を拒否され入国する事が出来なかった[15]

2022年11月12日、10年ぶりに復帰してマンチェスター・アリーナでマルコ・アントニオ・バレラとエキシビションで対戦した[16]

戦績

  • プロボクシング:48戦 45勝 (32KO) 3敗
日付 勝敗 時間 内容 対戦相手 国籍 備考
1 1997年9月11日 1R 終了 TKO コリン・マコウリー イギリスの旗 イギリス プロデビュー戦
2 1997年12月19日 4R 判定3-0 ロバート・アルバレス アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
3 1998年1月17日 1R 1:25 TKO デビッド・トンプソン イギリスの旗 イギリス
4 1998年3月27日 1R 1:47 TKO ポール・サルモン イギリスの旗 イギリス
5 1998年4月18日 1R 1:45 TKO カール・テイラー イギリスの旗 イギリス
6 1998年5月30日 6R 判定3-0 マーク・ラムジー イギリスの旗 イギリス
7 1998年7月18日 6R 判定3-0 アンソニー・キャンベル イギリスの旗 イギリス
8 1998年9月19日 2R 1:20 KO パスカル・モンチュラ ベルギーの旗 ベルギー
9 1998年10月31日 1R 2:25 TKO ケビン・カーター アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
10 1998年12月19日 6R 0:19 TKO ポール・デントン イギリスの旗 イギリス
11 1999年2月27日 2R 2:21 TKO トミー・ピーコック イギリスの旗 イギリス BBBofC英国中部地区スーパーライト級王座決定戦
12 1999年4月3日 2R 1:18 KO ブライアン・コールマン イギリスの旗 イギリス
13 1999年5月29日 5R 2:00 TKO ディロン・カレウ ガイアナの旗 ガイアナ WBOインターコンチネンタルスーパーライト級王座決定戦
14 1999年7月17日 6R 判定3-0 マーク・ラムジー イギリスの旗 イギリス
15 1999年10月9日 4R 終了 TKO バーナード・ポール モーリシャスの旗 モーリシャス WBOインターコンチネンタル防衛1
16 1999年12月11日 4R 0:51 TKO マーク・ウィンターズ イギリスの旗 イギリス WBOインターコンチネンタル防衛2
17 2000年1月29日 3R 1:37 TKO レオンシオ・ガルセス メキシコの旗 メキシコ
18 2000年3月25日 4R 2:55 TKO ペドロ・アロンソ・テラン メキシコの旗 メキシコ WBOインターコンチネンタル防衛3
19 2000年5月16日 4R 0:49 TKO アンビオリス・フィゲロ ドミニカ共和国の旗 ドミニカ共和国 WBOインターコンチネンタル防衛4
20 2000年6月10日 2R 1:48 KO ヒルベルト・キロス コスタリカの旗 コスタリカ WBOインターコンチネンタル防衛5
21 2000年9月23日 5R 1:57 TKO ジュゼッペ・ラウリ  ハンガリー WBAインターコンチネンタル・WBOインターコンチネンタルスーパーライト級王座統一戦
WBAインターコンチネンタル獲得・WBOインターコンチネンタル防衛6
22 2000年10月21日 12R 判定3-0 ジョン・タクストン イギリスの旗 イギリス BBBofC英国スーパーライト級王座決定戦
23 2001年3月26日 4R 2:30 TKO トニー・ペップ カナダの旗 カナダ WBU世界スーパーライト級王座決定戦
24 2001年7月7日 4R 2:08 KO ジェイソン・ローランド イギリスの旗 イギリス WBU防衛1
25 2001年9月15日 5R 0:36 TKO ジョン・ベイリー アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 WBU防衛2
26 2001年10月27日 2R 2:40 KO フレディ・ペンドルト アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 WBU防衛3
27 2001年12月15日 2R 0:36 TKO ジャスティン・ロウセル オーストラリアの旗 オーストラリア WBU防衛4
28 2002年2月9日 9R 2:31 TKO ミハイル・クリバラポフ ロシアの旗 ロシア WBU防衛5
29 2002年6月1日 12R 判定3-0 エーモン・マギー イギリスの旗 イギリス WBU防衛6
30 2002年9月28日 2R 0:28 反則 ステファン・スミス イギリスの旗 イギリス WBU防衛7
31 2002年12月14日 4R 1:16 KO ジョー・ハッチンソン アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 WBU防衛8
32 2003年4月5日 12R 判定3-0 ヴィンス・フィリップス アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 WBU防衛9
33 2003年9月27日 9R 終了 TKO アルド・ナザレノ・リオス アルゼンチンの旗 アルゼンチン WBU防衛10
34 2003年12月13日 12R 判定3-0 ベン・タッキー ガーナの旗 ガーナ WBU防衛11
35 2004年4月3日 6R 2:32 TKO デニス・ホルバエク・ペダーゼン  デンマーク WBU防衛12
36 2004年6月12日 12R 判定3-0 カルロス・ウィルフレド・ビルチェス アルゼンチンの旗 アルゼンチン WBU防衛13
37 2004年10月1日 5R 2:57 TKO マイケル・スチュワート アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 IBF世界スーパーライト級挑戦者決定戦
WBU防衛14
38 2004年12月11日 10R 1:38 KO レイ・オリベイラ アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 WBU防衛15
39 2005年6月4日 11R 終了 TKO コンスタンチン・チュー オーストラリアの旗 オーストラリア IBF世界スーパーライト級タイトルマッチ
40 2005年11月26日 9R 1:10 KO カルロス・マウサ  コロンビア WBA・IBF世界スーパーライト級王座統一戦
WBA獲得・IBF防衛1
41 2006年5月13日 12R 判定3-0 ルイス・コラーゾ アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 WBA世界ウェルター級タイトルマッチ
42 2007年1月20日 12R 判定3-0 ファン・ウランゴ  コロンビア IBF世界スーパーライト級タイトルマッチ
IBO世界スーパーライト級王座決定戦
43 2007年6月23日 4R 2:16 KO ホセ・ルイス・カスティージョ メキシコの旗 メキシコ WBCインターナショナルスーパーライト級王座決定戦
IBO防衛1
44 2007年12月8日 10R 1:35 TKO フロイド・メイウェザー・ジュニア アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 WBC世界ウェルター級タイトルマッチ
45 2008年5月24日 12R 判定3-0 ファン・ラズカノ メキシコの旗 メキシコ IBO防衛2
46 2008年11月22日 11R 0:48 TKO ポール・マリナッジ アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 IBO防衛3
47 2009年5月2日 2R 2:59 KO マニー・パッキャオ フィリピンの旗 フィリピン IBO陥落
48 2012年11月24日 9R 2:52 KO ビチェスラフ・センチェンコ  ウクライナ
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獲得タイトル

アマチュア時代

プロ時代

  • BBBofC中部スーパーライト級王座(防衛0=返上)
  • WBOインターコンチネンタルスーパーライト級王座(防衛6=返上)
  • WBAインターナショナルスーパーライト級王座(防衛0=返上)
  • BBBofC英国スーパーライト級王座(防衛0=返上)
  • WBU世界スーパーライト級王座(防衛15=返上)
  • IBF世界スーパーライト級王座(防衛0=返上)
  • WBA世界スーパーライト級スーパー王座(防衛0=返上)
  • WBA世界ウェルター級王座(防衛0=返上)
  • IBO世界スーパーライト級王座(防衛3)
  • WBCインナーナショナルスーパーライト級王座(防衛0=返上)
  • IBF世界スーパーライト級王座(防衛0=剥奪)

脚注

  1. ^ https://www.afpbb.com/articles/-/2542145?pid=3552283
  2. ^ http://menmedia.co.uk/manchestereveningnews/tv_and_showbiz/s/1463172_video-boxer-ricky-hatton-takes-a-battering---at-fish-and-chip-shop
  3. ^ “Hatton-Mayweather: Pull No Punches”. Time.com (2007年12月7日). 2014年5月2日閲覧。
  4. ^ ヒットマン、2階級制覇なる WBA世界ウェルター級 コラーゾに少差判定勝ち ボクシング総合ポータル「Box-on!」 2006年5月15日
  5. ^ ハットン、元のJ・ウェルターでIBF王座復帰 ボクシング総合ポータル「Box-on!」 2007年1月22日
  6. ^ ハットン王座返上。無冠でカスティーリョ戦へ ボクシング総合ポータル「Box-on!」 2007年2月14日
  7. ^ リッキー・ハットン カスチィーヨをKOで降す 「AFPBB News」 2007年6月24日
  8. ^ プレティボーイがヒットマンを痛烈TKO ボクシング総合ポータル「Box-on!」 2007年12月9日
  9. ^ リッキー・ハットン ラスカーノを下し防衛に成功 「AFPBB News」 2008年5月25日
  10. ^ リッキー・ハットン 11ラウンドTKOで防衛に成功 「AFPBB News」2008年11月22日
  11. ^ ボクシング=パッキャオ、ハットンを2回KO 「ロイター通信」2009年5月3日
  12. ^ “Former world champion boxer Ricky Hatton to check into rehab after cocaine video”. Daily Mail (2010年9月13日). 2014年5月2日閲覧。
  13. ^ Ricky Hatton loses licenses, Amir Khan says board was too harsh Badlefthook 2010-9-24
  14. ^ ハットンが引退表明=3年半ぶり復帰戦でKO負け-ボクシング 時事通信 2012年11月25日
  15. ^ “Visa problems deny Ricky Hatton entry into America to commentate on Mayweather-Maidana fight in Las Vegas”. Telegraph (2014年5月1日). 2014年5月2日閲覧。
  16. ^ “Ricky Hatton, Marco Antonio Barrera Trade Punches in Eight Round Exhibition”. Boxing Scene.com (2022年11月12日). 2022年12月2日閲覧。
  17. ^ 英国アマチュアボクシング協会の略称がABAである。

関連項目

外部リンク

  • リッキー・ハットン (@rickyhitmanhatton) - Instagram
  • リッキー・ハットン (@HitmanHatton) - X(旧Twitter)
  • リッキー・ハットン (pages/Ricky-Hatton/227705227243087) - Facebook
  • リッキー・ハットンの戦績 - BoxRec(英語)
前王者
コンスタンチン・チュー
IBF世界スーパーライト級王者

2005年6月4日 - 2006年3月29日(返上)

空位
次タイトル獲得者
ファン・ウランゴ
前WBA正規王者
カルロス・マウサ
WBA世界スーパーライト級スーパー王者
2005年11月26日 - 2006年5月4日(返上)
次スーパー王者
返上により消滅
前王者
ルイス・コラーゾ
WBA世界ウェルター級王者

2006年5月13日 - 2006年(返上)

空位
次タイトル獲得者
ミゲール・コット
前王者
ファン・ウランゴ
IBF世界スーパーライト級王者

2007年1月20日 - 2007年2月10日(剥奪)

空位
次タイトル獲得者
ラブモア・ヌドゥ
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