ルイ1世 (モナコ公)

ルイ1世
Louis I
モナコ公
在位 1662年 - 1701年

出生 (1642-07-25) 1642年7月25日
モナコ公国モナコ公爵宮殿(英語版)
死去 (1701-01-03) 1701年1月3日(58歳没)
教皇領ローマ
埋葬 モナコ公国モナコ=ヴィル聖母無原罪大聖堂(英語版)
配偶者 カトリーヌ・シャルロット・ド・グラモン
子女 アントワーヌ1世
ジャンヌ・マリー
テレーズ・マリー・アメリー
アンヌ・イポリット
フランソワ・オノレ(フランス語版)
家名 グリマルディ家
父親 エルキュール・グリマルディ
母親 マリーア・アウレーリア・スピノラ
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ルイ1世Louis Ier, prince de Monaco, 1642年7月25日 - 1701年1月3日)は、モナコ[1]

生涯

モナコ公オノレ2世の継嗣、ド・ボー侯爵エルキュール・グリマルディと妻マリーア・アウレーリア・スピノラの間の長男として、1642年7月25日に生まれた[2]。父は1651年8月2日に死去した[2]。1660年3月30日、アントワーヌ3世・ド・グラモン公爵の娘カトリーヌ・シャルロット・ド・グラモンと結婚、2男3女をもうけた[2]。1662年1月10日、祖父の死に伴いモナコ公位を継承[2]

フランス軍に仕え、ボーフォール公の指揮下で第二次英蘭戦争中の四日間の戦い(英語版)に参加し、戦功を立てた。1668年7月5日、ヴァランティノワ公(英語版)及びフランス同輩公(英語版)の身分を高等法院によって正式に認められ、同時にルイ14世王に臣従の宣誓を行った。

1699年フランス聖座大使に任命され、ローマに赴任。1699年12月19日には、ヤクプ・ルドヴィク・ソビェスキアレクサンデル・ベネディクト・ソビェスキの兄弟に聖霊勲章(英語版)を授与する役目を担った。任期中にローマで死去し、遺骸はモナコに運ばれて埋葬された。

子女

  • アントワーヌ1世(1661年1月25日 - 1731年2月20日) - モナコ公[2]
  • ジャンヌ・マリー・デヴォト(1662年1月14日 - 1741年4月21日) - 聖母訪問会修道女[2]
  • テレーズ・マリー・アメリー(1663年5月20日 - 1675年2月15日) - 「ド・ボー姫」[2]
  • アンヌ・イポリット(1667年7月26日 - 1700年7月3日) - 1696年1月18日、ユゼス公爵ジャン=シャルル・ド・クルソルと結婚[2]
  • フランソワ・オノレ(フランス語版)(1669年12月21日 - 1748年2月16日) - ブザンソン大司教[2]

引用・脚注

  1. ^ “モナコ公国(Principality of Monaco) 基礎データ”. 日本国外務省 Ministry of Foreign Affairs of Japan. 2020年2月10日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h i Edwards, Anne (2017) [1992]. "Tableau Genealogique de la Famille Grimaldi". The Grimaldis of Monaco (英語). Guilford, Connecticut: Lyons Press. pp. 345–346. ISBN 0-688-08837-6
先代
オノレ2世

モナコ公
1662年 - 1701年
次代
アントワーヌ1世