七人のHOTめだま

  • 七人のHOTめだま
  • HOTめだま
ジャンル 討論バラエティ番組
出演者
ナレーター
オープニング
製作
プロデューサー 王東順
制作 フジテレビ
放送
放送国・地域日本の旗 日本
七人のHOTめだま
放送期間1987年10月 - 1988年3月
放送時間日曜 20:00 - 20:54
放送分54分
HOTめだま
放送期間1988年4月 - 1989年3月
放送時間土曜 12:00 - 12:54
放送分54分
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七人のHOTめだま』(しちにんのホットめだま)は、1987年10月から1988年3月までフジテレビ系列局で放送されていたフジテレビ制作の討論バラエティ番組である。1988年4月から放送枠の移動に伴い『HOTめだま』(ホットめだま)に改題し、1989年3月まで放送した。当項では『HOTめだま』(ホットめだま)の解説も行う。

概要

毎回7人のゲストパネラーたちが、当時の世相や話題になっているものなどについてあらゆる観点から検証・討論していた番組であった。討論番組という性質上、パネラーたちがエキサイトし、熱弁を振るう光景がたびたび見られた。番組後半では、司会の近藤正臣も討論に参加していた。そして討論が行われている中でエンディングに入り、ナレーションで番組を締めくくる演出が採られていた。

放送時間

いずれも日本標準時(JST)。

出演者

『七人のHOTめだま』として放送した当時の出演者を解説する(ナレーターも同様)。

司会

パネラー

ナレーター

  • 大森章督 - 『七人のHOTめだま』として放送した当時の前期担当者。
  • 山田栄子 - 『七人のHOTめだま』として放送した当時の後期担当者。

放送内容

七人のHOTめだま

「出発進行!走るスタジオ列車」をテーマとして放送。同回はスタジオフジテレビ第3スタジオ[注 2])ではなく、ジョイフルトレインスーパーエクスプレスレインボー」の車内(当番組収録のため貸切運行)で収録した回であり[注 3]、同日のダイヤ改正(キャッチコピー・一本列島)に合わせた企画として、前述したテーマを放送した。ちなみに、番組の収録は同ジョイフルトレインのイベントカー(オロ12 715)で行われ、この回のエンディングテーマのフルート演奏と「講談トラベルミステリー」(当番組には『高原鉄道殺人事件』〈1984年4月5日初版発行、光文社〉が使われ、神田紅講談を披露した[注 4])は同列車のパノラマグリーンカーにある展望室で撮影が行われた。
同回では早坂茂三の講演「やがて、東京〜大阪1時間」(リニアモーターカーに関する講演であるが、整備新幹線の話も少しだけ出た。リニア実験線として使用した宮崎実験線札幌 - 千歳空港間を運行するリニアモーターカーの線路敷設計画〈同区間の所要時間は約7分。新千歳空港を国際化するための基盤作りとして同計画があったが、基本敷設計画には札幌駅を軸に北海道の主要各駅を結ぶ構想もあった[注 5][1]〉と中央新幹線〈通称・リニア中央新幹線〉の実験線建設を願う内容も同コーナーで放送されたが、リニア実験線の整備計画は山梨実験線として実現している[2])や種村直樹の講演「得するキップ」(切符の種類や特別企画乗車券〈愛称・トクトクきっぷ〉に関する講演)も放送した。
同回では上記の他に、駅弁食堂車ビュッフェなど、「列車と食事」をテーマとしたコーナー・寝台特急北斗星を扱ったコーナー・放送日に実施したダイヤ改正の裏側を扱うコーナー・新幹線通勤を扱ったコーナー・忘れ物(遺失物)を扱うコーナー・JR東日本のジョイフルトレイン(「パノラマエクスプレスアルプス」や「やすらぎ」など[注 6])を紹介するコーナー・青山駅(越後線)の開業に関するミニドキュメンタリーやキク象ボックス(JR西日本が設けた投書箱[3])に関する解説も放送した。なお、同列車が利根川橋梁(宇都宮線東北本線〉)を通過する時に出演者が鉄道ファンに手を振る演出があったが、同橋梁を通過する直前に対向列車(115系)が来てしまい、ナレーターは「このために寒い中待っていたカメラマンの苦労はどうなるんでしょう?」(原文を基に再構成)と話している。

HOTめだま

スタッフ

  • FD:天野晃宏、吉田雅司
  • ディレクター:高山茂樹、加茂裕治/江上官(オフィス・トゥー・ワン)
  • プロデューサー:王東順
  • 制作:フジテレビ編成局第二制作部
  • 制作著作:フジテレビ

エンディングテーマ

七人のHOTめだま
HOTめだま
  • (不明)

備考

1987年11月に「ザ・引退」とのテーマで江川卓を取り上げた際、討論の最中に突如桂三枝が「巨人ファンを引退し、阪神ファンに鞍替えする」と宣言した[要出典]。なお、桂文枝(2012年襲名)は2014年10月28日に発行した日刊スポーツの取材(イベント開催時に受けたもの)で当時のことを振り返り、「1987年に江川が引退し、同年オフのドラフト会議長嶋一茂[注 7]を巨人が指名しなかったことから距離を置き、1989年村山実(文枝〈当時は三枝〉の母校、関西大学の先輩)が阪神監督に就任したことで強い愛着を感じた」と振り返っている[5]。以降、文枝は阪神ファンを貫いている。関連するエピソードは桂文枝 (6代目)#人物を参照。

脚注

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注釈

  1. ^ (未放送の例:関西テレビ放送。同枠で『ノックは無用!』〈トーク番組〉を放送するため)
  2. ^ 上野駅の13番線(同ホーム)でテーマを発表する時に映ったフリップボードより。
  3. ^ 司会者(先述)のあいさつやパネラーなどの出演者(木村晋介、神田紅、桂三枝〈後の六代桂文枝〉、早坂茂三、マリアン種村直樹、山形由美〈司会者の紹介順に記載〉)の紹介(同シーンはイベントカー〈オロ12 715〉の前で収録)は上野駅13番線で行ったが、そのシーンの前に推進運転で上野駅13番線に入線する「スーパーエクスプレスレインボー」が映る。なお、同ホームに停車中の様子は専用機関車(同収録に使用した牽引機)のEF65 1019も映るが、ヘッドマークを掲示する所はカラーバーで隠され、その上に当番組のロゴが表示された。なお、提供クレジットには同機関車が牽引する「スーパーエクスプレスレインボー」の走行シーンが映るが、このシーンには提供クレジットの掲出を除く映像処理は施されていない。また、利根川橋梁(宇都宮線〈東北本線〉)付近でも走行シーンが映るが、牽引機関車は映らなかった。
  4. ^ 講談は釈台(しゃくだい)と呼ばれる小さな机の前に座って披露するものであるが、当番組は立って講談を披露した。なお、この講談は原作を基にアレンジしたものであるため、容疑者犯人)の氏名は異なる。同コーナーには原作者の西村京太郎がVTRで出演し、「作品作りの手順」・「舞台になりやすい駅および路線や列車」・「ダイヤ改正による影響」・「作品の楽しみ方」などを解説したが、この時に「列車名が面白くないのは(作品を書いても)あまり売れない」(原文ママ)と語っている。
  5. ^ 函館小樽または苫小牧経由〉、旭川経由稚内網走帯広釧路経由根室[1]
  6. ^ JR東海の「ユーロライナー」も映るが、CMに入る直前に少しだけしか映らなかったためテロップの表示は無かった)
  7. ^ ヤクルトに入団後、1993年に巨人へ金銭トレードで移籍[4]

出典

  1. ^ a b 谷藤静広 (1975年). “新世紀型高速交通システム ―札幌-千歳間リニアモーターカー構想―” (PDF). JSTORAGE. 日本カードネットワーク. pp. 57-61. 2022年6月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年8月24日閲覧。 “(線路敷設計画は60ページを参照)”
  2. ^ “山梨リニア実験線”. 鉄道・運輸機構. 2024年4月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年8月24日閲覧。
  3. ^ “お客様との双方向 コミュニケーションの充実” (PDF). CS(お客様満足). 西日本旅客鉄道. p. 37 (2009年). 2024年7月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年8月24日閲覧。
  4. ^ 「【スポーツ界 記者が明かす平成裏事件簿】下戸のミスターが大吟醸酒を飲み干した! 長男・一茂の巨人移籍」『夕刊フジ』2019年4月30日。オリジナルの2023年11月4日時点におけるアーカイブ。2024年8月24日閲覧。
  5. ^ 「桂文枝、巨人から阪神ファンへ“鞍替え”」『日刊スポーツ』2014年10月28日。オリジナルの2022年5月24日時点におけるアーカイブ。2024年8月24日閲覧。
フジテレビ系列 日曜20:00枠
前番組 番組名 次番組
TVハッカー
(1987年4月19日 - 1987年9月27日)
七人のHOTめだま
(1987年10月 - 1988年3月)
ニュースバスターズ
(1988年4月10日 - 1988年9月11日)
フジテレビ 土曜12:00枠
純ちゃんのごぶサタデー
(1986年4月5日 - 1987年9月26日)
HOTめだま
(1988年4月 - 1989年3月)
旅はWITH遊
(1989年4月8日 - 1990年3月17日)
六代 桂文枝
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関連項目
関連人物
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