三宅昇
基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 兵庫県 |
生年月日 | 1946年5月5日 |
没年月日 | 1996年 |
身長 体重 | 181 cm 80 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 外野手 |
プロ入り | 1970年 ドラフト9位 |
初出場 | 1971年10月6日 |
最終出場 | 同上 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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三宅 昇(みやけ のぼる、1946年5月5日 - 1996年)は、兵庫県出身の元プロ野球選手。ポジションは外野手。
来歴・人物
報徳学園では、1964年に右翼手として春の選抜に出場。1回戦は北角富士雄のいた東邦高に9回裏サヨナラ勝ち。しかし2回戦で、この大会に優勝した徳島海南高の尾崎将司に完封を喫した[1]。同年夏の甲子園県予選は、準決勝で育英高の鈴木啓示に抑えられ惜敗。高校同期に基満男、水沼四郎、1年下に控え投手の谷村智博がいた。
水沼とともに中央大学へ進学。東都大学リーグでは、1965年秋季リーグでベストナイン(外野手)に選出される。1967年春季リーグではエース宮本幸信の好投もあり優勝、同年の全日本大学野球選手権大会でも、決勝で藤原真を擁する慶大を破り初優勝を飾る。大学卒業後は西濃運輸へ入社し、1969年から都市対抗に2年連続出場[2]。
1970年のドラフト会議で阪急ブレーブスから9位指名を受け入団。ベース1周14秒3の俊足であったが、阪急の層の厚い外野陣には割って入れず、あまり出場機会のないまま1973年限りで引退した。
詳細情報
年度別打撃成績
年 度 | 球 団 | 試 合 | 打 席 | 打 数 | 得 点 | 安 打 | 二 塁 打 | 三 塁 打 | 本 塁 打 | 塁 打 | 打 点 | 盗 塁 | 盗 塁 死 | 犠 打 | 犠 飛 | 四 球 | 敬 遠 | 死 球 | 三 振 | 併 殺 打 | 打 率 | 出 塁 率 | 長 打 率 | O P S |
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1971 | 阪急 | 1 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | .000 | .000 | .000 | .000 |
通算:1年 | 1 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | .000 | .000 | .000 | .000 |
背番号
- 5 (1971年 - 1972年)
- 44 (1973年)
脚注
関連項目
阪急ブレーブス - 1970年ドラフト指名選手 | |
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指名選手 |
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