前田泰男

曖昧さ回避 前多康男」あるいは「前田泰生」とは別人です。

前田 泰男(まえだ やすお、1931年3月26日- 2004年7月29日 )は、プロ野球球団近鉄バファローズ球団社長である。

来歴・人物

奈良県吉野郡吉野町出身[1]旧制五条中学を経て、1954年大阪府立大学を卒業した後に近畿日本鉄道に入社した[2][1]上山善紀社長の要請により、球団の運営に携わることになる[2]

1986年に2月から球団代表に就任し[3]1990年から1995年までに代表兼務で球団社長に就任した[4][1]

94年のオフに契約更改が決裂していたエース野茂英雄に対し「契約に応じなければクビだ。」と迫り野茂はこれがきっけでメジャーリーグベースボールを目指すようになる。

1989年には西武坂井保之に代わって、パ・リーグの理事長に就任した[5]

2004年7月29日、急性呼吸不全のために死去。73歳没。

脚注

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  1. ^ a b c 興信データ株式會社 1997, ま33頁.
  2. ^ a b 読売新聞1991年8月23日大阪夕刊2頁
  3. ^ 読売新聞1986年2月4日朝刊17頁
  4. ^ 読売新聞1990年5月2日東京朝刊19頁
  5. ^ 読売新聞1989年5月2日朝刊23頁

参考文献

  • 興信データ株式會社『人事興信録 第39版 下』興信データ、1997年。https://www.google.co.jp/books/edition/_/q_BMAQAAIAAJ?hl=ja&sa=X&ved=2ahUKEwjN54jpy5eHAxWhna8BHcTECdEQ8fIDegQIARAS 
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