劉貺

劉貺(りゅう きょう)は、8世紀の中国、の時代の人である。生没年は不明。字は恵卿[1]。多分野にまたがる著作がある。協律郎、太楽令、起居郎、右拾遺、内供奉。

経歴と事績

史通』を著した歴史家劉知幾の長子[2]。弟に劉餗、劉彙、劉秩、劉迅、劉迥がいて、みな官につき、著作がある[1]。子に劉浹、劉滋がいた[1]

協律郎のとき、様々な楽器を季節に配し、琴は夏至の音だと言った[3]

劉貺は、かつて南朝で呉の方言で歌われていた清楽(清商楽)を保存しようと、歌工の李郎子を江都の俞才生に学ばせた[4]

開元9年(721年)に太楽令となったが、何かの犯罪で流刑になった[2]。父の劉知幾は子のために執政に働きかけたが、それを知った玄宗の怒りを買って左遷され、まもなく死んだ[2]

父の死後、詔があって起居郎に引き上げられ、国史を修めた[1]。開元初年に右拾遺となり、劉向の『説苑』にならった『続説苑』を書いて玄宗に献じ、褒められた[5]。また、内供奉に任じられた[1]

著書と学説

劉貺は儒学と歴史に通じ、天文、律暦、音楽、医術に詳しかった[2]。著書に『太楽令壁記』3巻[6]、『六経外伝』37巻[7]、『天官旧事』1巻[8]、『続説苑』10巻[9]、『真人肘後方』3巻[10]があった。

脚注

  1. ^ a b c d e 『新唐書』巻132、列伝第57、劉子玄、貺。</ref
  2. ^ a b c d 『旧唐書』巻102、列伝第52、劉子玄。
  3. ^ 『宋史』巻441、列伝第200、文苑3、崔遵度。
  4. ^ 『旧唐書』巻29、志第9、音楽2、清楽。
  5. ^ 『旧唐書』巻136、列伝第86、劉滋。
  6. ^ 『新唐書』巻57、志第47、芸文1、甲部経録、楽類。
  7. ^ 『新唐書』巻57、志第47、芸文1、甲部経録、経解類。
  8. ^ 『新唐書』巻58 志第48 芸文2、乙部史録、職官類。
  9. ^ 『新唐書』巻59 志第49 芸文3、丙部子録、儒家類。
  10. ^ 『新唐書』巻59 志第49 芸文3、丙部子録、医術類。

参考文献

外部リンク

  • 中央研究院・歴史語言研究所「漢籍電子文献資料庫」。