北里貞之
北里 貞之(きたざと さだゆき、1857年3月4日(安政4年2月9日) - 1928年(昭和3年)[1])は日本の裁判官、弁護士。元・大審院判事。
略歴
1857年(安政4年2月9日)、熊本藩士北里一格の長男として生まれる。東京法学校(現・法政大学)で学び、1887年(明治20年)に判事検事登用試験に合格する。1890年(明治23年)に北里崎次郎の養子となる。
福島地方裁判所判事、宮崎地方裁判所長、大分地方裁判所長、鹿児島地方裁判所長を経て、1919年(大正8年)に大審院判事に就任する。正五位勲四等。
脚注
- ^ 『官報』第366号(1928年3月20日)に、同年3月18日に熊本県下で葬送が行われたとの記載がある。
参考
- 『人事興信録 第4版』(人事興信所)
- 『官報』(1919年7月14日)
- 『法学志林 第21巻』(法政大学、1919)
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