双木八郎
双木 八郎(なみき はちろう、1853年 - 1923年12月8日)は、日本の政治家、銀行家。
経歴
名栗村の柏木家で生まれ、利八郎の養子になった。真能寺村戸長、飯能・久下分・真能寺の三村が合併した連合村の筆生を経て、1889年、飯能町(現・飯能市)の初代町長に就任した。1897年、自治行政の功により藍綬褒章を受けた。1903年頃から、第三十六銀行の監査役、取締役を務める[1]。 1907年、日露戦争銃後の功により勲七等に叙せられた。1908年から2期8年、町長と兼任して埼玉県会議員を務めた。1910年から4年間は小山八郎平と交替したが、1922年に健康上の問題で退任するまで前後あわせて30年にわたり町長を務めた。
長男は双木利一。
年譜
- 1889年 飯能町(現・飯能市)の初代町長に就任した。
- 1897年 自治行政の功により藍綬褒章を受けた。
- 1903年頃 第三十六銀行の監査役となる。
- 1907年 日露戦争銃後の功により勲七等に叙せられた。
- 1908年 埼玉県会議員となる。(2期8年)(飯能町町長と兼任)
- 1908年頃 第三十六銀行の取締役となる。 (〜1919年?)
- 1922年 飯能町町長を健康上の問題で退任
脚注
参考文献
- 飯能人物誌編さん委員会(飯能市立図書館内)『飯能人物誌』飯能人物誌編さん委員会(飯能市立図書館内)、1970年、46頁。doi:10.11501/12214198。 NCID BA3941537X。全国書誌番号:73004405。https://dl.ndl.go.jp/pid/12214198/1/1。
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