喜久亭寿暁

喜久亭 寿暁きくてい じゅぎょう)は落語名跡。壽暁、壽曉とも表記する。

初代

生没年不詳)本名は道具屋 万吉のちに矢野 治助。号を青陽舎。

初め若松町に住み道具屋万吉、後に深川の佐賀町の家主を勤め、矢野治助と改名した。

咄家としては初代喜久亭寿楽の門人で1808年4月17日には寿楽、初代三笑亭可楽、初代三遊亭圓生の助力で東両国の柏屋で咄の会が催されている。

新作の創作力に優れ、1807年正月から1809年頃にかけて草したネタ帳を「滑稽集」を記しておりそこには現在でも演じられる演目が多数紹介されており計800ほど題名が挙がっている。

1817年には新吉原伏見町に転居している。

2代目

『落語家奇奴部類』には2代目寿暁から5代目石井宗叔を経て楽翁となった人物がいる。

出典

  • 諸芸懇話会、大阪芸能懇話会共編『古今東西落語家事典』平凡社、ISBN 458212612X
  • 『落語はいかにして形成されたか』無料読書コーナー (OJWNET)