土呂町

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土呂町
土呂駅
■土呂町の位置(埼玉県内)
■土呂町
土呂町
土呂町の位置
北緯35度55分54.50秒 東経139度37分55.40秒 / 北緯35.9318056度 東経139.6320556度 / 35.9318056; 139.6320556
日本の旗 日本
都道府県 埼玉県
市町村 さいたま市
北区
人口
2017年平成29年〉9月1日時点)[1]
 • 合計 11,549人
等時帯 UTC+9 (日本標準時)
郵便番号
331-0804[2]
市外局番 048[3]
ナンバープレート 大宮
※座標は土呂駅の位置
土呂
日本の旗 日本
都道府県 埼玉県
市町村 さいたま市
北区
等時帯 UTC+9 (日本標準時)
市外局番 048[3]
ナンバープレート 大宮

土呂町(とろちょう)は、埼玉県さいたま市北区の町丁。現行行政地名は土呂町一丁目・土呂町二丁目および土呂町。住居表示未実施地区[4]郵便番号は331-0804[2]。本項では、土呂町の前身で現在も残存する[5]大字土呂(とろ)と、その前身である土呂村(とろむら)についても述べる。

地理

埼玉県さいたま市北区南部の主に大宮台地上に位置する。地区の東部で見沼に、南部で寿能町盆栽町に、西部で植竹町に、北部で本郷町に隣接する。町内は市街化区域[6]に指定され、東日本旅客鉄道(JR東日本)宇都宮線[注釈 1]土呂駅を中心として住宅地が広がっている。見沼の北部にあたる芝川沿いの沖積平野の地区は、土呂町から分離して見沼一丁目 - 三丁目となっている。

地価

住宅地の地価は、2015年平成27年)1月1日公示地価によれば、土呂町一丁目39番10の地点で231,000円/m2となっている[7]

歴史

もとは江戸期より存在した武蔵国足立郡大宮領に属する土呂村であった[8]。村内は上土呂および下土呂と私的に区分けされていた[9]。村高は正保年間の『武蔵田園簿』では198石余(田19石余、畑179町余)、『元禄郷帳』では195石余、『天保郷帳』では新田開発により高入れされ902石余であった[8]助郷中山道大宮宿に出役していた[8]化政期の戸数は64軒で、村の規模は東西5町、南北20町余であった[8]

  • 1590年天正18年)より旗本初鹿野氏(初鹿野昌久、後に改名して初鹿野信昌)による知行および幕府領[8]。砂陣屋を構える。
  • 1624年寛永2年)より旗本初鹿野氏知行分の一部を弟に分給[8]
  • 1661年寛文元年)より旗本初鹿野2氏および旗本伏見氏による相給となる[8]。なお、検地1665年(寛文5年)[9]1689年(元禄2年)に実施。
  • 1727年享保12年)より見沼が干拓され[10]、村内に見沼代用水およびその分水路である砂分水が翌年開削される。
  • 1731年(享保16年)より見沼通船が開始、村内に上土呂・下土呂河岸が設置される[11][8]
  • 享保年間以降に見沼干拓により開発された新田の区域は幕府領[8]。検地は1731年(享保16年)に実施[9]
  • 延享年間に植竹原新田を開発[8]、検地は1745年(延享2年)に実施。
  • 宝暦年間に寿能原新田を開発[8]、検地は1761年(宝暦11年)[9]1768年明和5年)に実施。
  • 1828年文政11年)より大宮宿寄場55か村組合に所属[8]
  • 幕末の時点では足立郡に属し、明治初年の『旧高旧領取調帳』の記載によると、初鹿野伝右衛門、初鹿野啓之助および伏見猪之助の知行[12]
  • 1868年慶応4年)6月19日 - 幕府領が武蔵知県事・山田政則(忍藩士)の管轄となる。
  • 1869年明治2年)
  • 1871年(明治4年)11月13日 - 第1次府県統合により埼玉県の管轄となる。
  • 1872年(明治5年) - 土呂村の菩提寺である浄職院が廃寺となる[8]。大規模な本堂のほか庫裏や堀も持つ風格のある寺院で、享保年間より寺子屋を開いていた。
  • 1879年(明治12年)3月17日 - 郡区町村編制法により成立した北足立郡に属す。郡役所は浦和宿に設置。
  • 1885年(明治18年)7月16日 - 地内に日本鉄道第二区線(後の国鉄東北本線、現在のJR東日本宇都宮線)が敷設され開業する。地内に駅は開設されなかった。
  • 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行に伴い、大和田村・砂村・土呂村・西本郷村・今羽村・堀崎村・島村が合併し、大砂土村が発足[8]。土呂村は大砂土村の大字土呂となる[8]
  • 1940年昭和15年)11月3日 - 北足立郡大宮町・三橋村・日進村・宮原村・大砂土村が合併し、大宮市が発足[13]。大宮市の大字となる。
  • 1947年(昭和22年)9月1日 - 現在の土呂町一丁目80番地2にあたる場所に大砂土公民館(本郷町284番地に移転され、現存しない)が開設される[14]
  • 1950年(昭和25年)12月18日 - 東北本線の踏切東武バスが上野行列車の側面に衝突。乗員乗客13人が死亡、重軽傷4人[15]
  • 1953年(昭和28年)4月1日 - 地内に大宮市立植竹中学校(現・さいたま市立植竹中学校)が開校する[16]
  • 1955年(昭和30年)10月5日 - 町名地番変更により、大字大宮・大字高鼻・大字土呂の各一部から堀の内町二丁目が成立[8][17]
  • 1956年(昭和31年)2月1日 - 町名地番変更により、大字大宮・大字高鼻・大字土呂の一部から寿能町一丁目・二丁目が成立[8][18]
  • 1957年(昭和32年)11月1日 - 町名地番変更により、大字大宮・大字土呂の各一部から植竹町二丁目が成立[19]。また、大字大宮・大字土手宿・大字土呂・大字西本郷の各一部から盆栽町が成立[8][20]
  • 1958年(昭和33年)2月11日 - 町名地番変更により、大字土呂および大字西本郷の各一部から土呂町が成立[8][21]
  • 1960年(昭和35年)
    • 7月11日 - 町名地番変更により、大字土呂および大字大和田の各一部から大和田町一丁目・二丁目が成立[8][19]
    • 12月19日 - 土呂町の一部を事業区域に含む土呂土地区画整理事業の都市計画決定が告示される[22]
  • 1962年(昭和37年)3月17日 - 土呂土地区画整理事業の事業計画決定が告示される[22]
  • 1968年(昭和43年) - 地内の東北本線に架かる埼玉県道35号川口上尾線の跨線橋「神明跨線橋」が架設される[23]
  • 1971年(昭和46年)
    • 5月8日 - 土呂土地区画整理事業の換地処分が前日に行われた[22]ことに伴い、町名地番変更が行われ、土呂町の一部から土呂町一丁目・二丁目が成立[21]
    • 10月20日 - 国鉄の新駅開設に備えて地内に駅前広場が造られる[24]
    • 月日不明 - 地内の東北本線に架かる市道10528号線の跨線橋「第一菖蒲跨線道路橋」が架設される[23]
  • 1977年(昭和52年)12月28日 - 町名地番変更により、寿能町二丁目、土呂町、砂町一丁目・本郷町、大和田町一丁目・二丁目の一部から見沼一丁目 - 三丁目が成立[8][20]
  • 1983年(昭和58年)
    • 8月10日 - 建設中の土呂駅周辺が自転車放置整理区域に指定される[24][25]
    • 10月1日 - 町域を通る東北本線に土呂駅が開業[24]。駅東口のブロンズ像「やすらぎ」の除幕式が挙行される[24]
  • 1985年(昭和60年)8月1日 - 土呂駅東口自転車駐車場が利用開始[24]
  • 1991年(平成3年)
    • 3月28日 - 土呂町および土呂町二丁目の各一部を事業区域に含む[26]土呂農住土地区画整理事業の都市計画決定が告示される[22]
    • 4月20日 - 土呂駅西口自転車駐車場が利用開始[24]
  • 1992年(平成4年)8月28日 - 土呂農住土地区画整理事業の事業計画決定が告示される[22]
  • 1998年(平成10年)
    • 1月13日 - 土呂町の一部を事業区域に含む北部拠点宮原土地区画整理事業の都市計画決定が告示される[22]
    • 5月18日 - 北部拠点宮原土地区画整理事業の事業計画決定が告示される[22]
  • 2001年(平成13年)5月1日 - 浦和市・大宮市・与野市が合併し、さいたま市が発足。土呂町一丁目・二丁目および土呂町は同市の町名となり、大字土呂は同市の大字となる。
  • 2003年(平成15年)4月1日 - さいたま市が政令指定都市に移行。土呂町一丁目・二丁目および土呂町は同市北区の町名となり、大字土呂は同市北区の大字となる。
  • 2006年(平成18年)9月16日 - 北部拠点宮原土地区画整理事業の換地処分が前日に行われた[22]ことに伴い、町名地番変更が行われ[27]、土呂町の一部が消滅する[28]
  • 2010年(平成22年)3月28日 - 地内にさいたま市大宮盆栽美術館が開館する。
  • 2015年(平成27年)7月1日 - 地内に東大宮総合病院が移転、彩の国東大宮メディカルセンターとして開設される[29]

地名の由来

土呂(とろ)は「瀞」と同義であり、水を湛える見沼溜井の様子から生じたものと云われる[30]

土呂村および大字土呂に存在していた小字

寿能・在家・洲崎・黒塚・神明・稲荷・見沼・見沼南[31][注釈 2]

世帯数と人口

2017年(平成29年)9月1日時点の世帯数人口は、以下のとおりである[1]

町丁 世帯数 人口
土呂町一丁目 2,723世帯 5,760人
土呂町二丁目 2,645世帯 5,307人
土呂町 285世帯 482人
5,653世帯 11,549人

小・中学校の学区

市立小・中学校に通う場合、学区(校区)は以下のとおりとなる[32]

丁目 区域 小学校 中学校
土呂町一丁目 62 - 85番地 さいたま市立大砂土小学校 さいたま市立土呂中学校
その他 さいたま市立植竹中学校
土呂町二丁目 1 - 10番地
16 - 51番地
さいたま市立植竹小学校 さいたま市立土呂中学校
その他 さいたま市立大砂土小学校
土呂町 1429 - 1547番地 さいたま市立植竹小学校
421 - 1428番地 さいたま市立植竹中学校
その他 さいたま市立大砂土小学校

交通

鉄道

バス・乗合タクシー

道路

地域

公園・緑地

  • 土呂公園
  • 見沼公園
  • 見晴公園
  • 土呂西公園
  • 土呂町二丁目公園
  • 神明北公園
  • 神明西公園
  • 大宮弁天公園
  • 弁天西公園
  • 富士見公園

施設

土呂駅が所在し、駅前や産業道路周辺を中心に多くの商業施設が立地する。

※ 土呂西口郵便局は植竹町二丁目に所在する。

脚注

[脚注の使い方]

注釈

  1. ^ a b 東京駅黒磯駅尾久駅経由で結ぶ列車運転系統の愛称。線路名称上は東北本線
  2. ^ 在家・洲崎・黒塚は『新編武蔵風土記稿』に小名として記述がある[9]

出典

  1. ^ a b “さいたま市の人口・世帯(時系列結果)”. さいたま市 (2017年9月5日). 2017年9月20日閲覧。
  2. ^ a b “郵便番号”. 日本郵便. 2017年9月18日閲覧。
  3. ^ a b “市外局番の一覧”. 総務省. 2017年5月29日閲覧。
  4. ^ “住居表示実施地区一覧” (PDF). さいたま市 (2019年2月26日). 2019年11月20日閲覧。
  5. ^ さいたま市町字および該当区名一覧 (PDF) - さいたま市
  6. ^ 外部リンク節の『さいたま市地図情報』を参照。
  7. ^ “土地総合情報システム”. www.land.mlit.go.jp. 2020年7月18日閲覧。
  8. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u 『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』 602頁。
  9. ^ a b c d e 新編武蔵風土記稿 土呂村.
  10. ^ 『大宮のむかしといま』 78-81頁。
  11. ^ 『大宮のむかしといま』 86-93頁。
  12. ^ 「旧高旧領取調帳データベース」の検索結果も参照。
  13. ^ 『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』 1420頁。
  14. ^ 『大宮のむかしといま』 資料-30頁。
  15. ^ 日外アソシエーツ編集部 編『日本災害史事典 1868-2009』日外アソシエーツ、2010年9月27日、80頁。ISBN 9784816922749。 
  16. ^ 『大宮のむかしといま』 資料-26-29頁。
  17. ^ 『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』 961頁。
  18. ^ 『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』 958頁。
  19. ^ a b 『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』 956頁。
  20. ^ a b 『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』 962頁。
  21. ^ a b 『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』 959頁。
  22. ^ a b c d e f g h さいたま市土地区画整理事業一覧表 (PDF) - さいたま市
  23. ^ a b “平成28年度 第1回埼玉県道路鉄道連絡会議 跨線橋の点検結果及び修繕状況(道路管理者:市町村)”. 国土交通省関東地方整備局. p. 14 (2019年1月27日). 2019年11月20日閲覧。
  24. ^ a b c d e f 『大宮市史調査報告書 第1集 大宮市歴史年表』
  25. ^ “土呂駅・東大宮駅周辺自転車等放置禁止区域図”. さいたま市. 2019年11月14日閲覧。
  26. ^ “さいたま市土呂農住特定土地区画整理組合 一般財団法人 さいたま市土地区画整理協会|さいたま市における土地区画整理事業の発展と推進”. saitama-kukaku.jp. 2020年8月15日閲覧。
  27. ^ “さいたま市/合併後の住所の移り変わり”. www.city.saitama.jp. 2020年7月18日閲覧。
  28. ^ 北部拠点宮原土地区画整理事業 旧新地番対照表 (PDF) - さいたま市
  29. ^ “「東大宮総合病院」移転ならびに名称変更のお知らせ”. 東京都家具健康保険組合. 2019年11月20日閲覧。
  30. ^ 韮塚一三郎『埼玉県地名誌 ―名義の研究―』北辰図書出版、1971年6月20日、37-58頁。https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/9640131/30 
  31. ^ 『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』 1388頁。
  32. ^ “さいたま市立小・中学校通学区域一覧”. さいたま市 (2017年8月23日). 2017年9月20日閲覧。
  33. ^ a b 『「街の達人」でっか字埼玉便利情報地図2013年2版2刷』昭文社、2013年、104-105頁。ISBN 978-4-398-60135-3。 

参考文献

  • 大宮市(現・さいたま市)企画財政部統計課『大宮市史調査報告書 第1集 大宮市歴史年表』1997年3月28日。 
  • 「角川日本地名大辞典」編纂委員会『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』角川書店、1980年7月8日。ISBN 4040011104。 
  • 『大宮のむかしといま』大宮市、1980年11月3日。全国書誌番号:81007009、NCID BN03449939。 
  • 埼玉県市町村誌 第一巻
  • 「土呂村」『新編武蔵風土記稿』 巻ノ153足立郡ノ19、内務省地理局、1884年6月。NDLJP:764000/61。 
  • 旧高旧領取調帳データベース

関連項目

外部リンク

  • さいたま市北区役所
  • さいたま市地図情報 - さいたま市
  • 北区ガイドマップ - さいたま市
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