大川 忠秀(おおかわ ただひで、生年不詳 - 1561年)は、戦国時代の武将である。上杉氏の家臣[1]。
大川氏は鎌倉時代から続く家系で、戦国時代には本庄氏の傘下に入った。忠秀は、藤懸城の城主である[2]。1561年の第4次川中島の戦いで戦死したとされる。