大槻丈夫
大槻 丈夫(おおつき たけお、1907年2月11日 - 1978年2月24日)は、日本の経営者。近畿日本ツーリスト社長を務めた。
経歴
京都府綾部市出身[1]。1929年に高文行政科に合格し、1930年に東京帝国大学経済学部経済学科を卒業し、同年に鉄道省に入省[1]。興亜院、運輸省での勤務を経て、1950年12月に国鉄理事に就任し、1956年3月までに務めた[1]。
1962年11月に近畿日本鉄道専務に就任し、1968年5月に副社長を経て、1973年11月に常任監査役に就任[1]。1976年1月には近畿日本ツーリスト社長に就任した[1]。
脚注
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- ^ a b c d e 人事興信所 1977, お204頁.
- ^ 1978年 2月25日 読売新聞 朝刊 p23
参考文献
- 人事興信所 編『人事興信録 第29版 上』人事興信所、1977年。
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