宮道潔興
宮道 潔興(みやじ の きよき、生没年不詳)は、平安時代前期の官人・歌人。名は潔樹とも記される[1]。主計頭・宮道弥益の子とする系図がある。官位は正六位下[2]・越前権少掾。
経歴
従兄弟(または兄弟)の宮道列子の孫にあたる皇太子・敦仁親王に帯刀舎人として仕え、敦仁親王即位(醍醐天皇)後の昌泰元年(898年)内舎人に任ぜられる。昌泰3年(900年)内膳典膳に遷り、延喜7年(907年)紀貫之と交替して越前権少掾となり地方官に転じた。
勅撰歌人として『古今和歌集』に和歌作品1首が収められている[1]。
官歴
『古今和歌集目録』による。
系譜
- 父:宮道弥益[3]
- 母:不詳
- 生母不詳の子女
- 男子:宮道高風[3]
脚注
[脚注の使い方]
- ^ a b 『勅撰作者部類』
- ^ 中田憲信『皇胤志』1
- ^ a b 蜷川校下史編纂委員会編『蜷川の郷土史』所収「蜷川家諸流大系図」(蜷川校下自治振興会、1968年)