岡田栄
この項目では、政治家・弁護士について記述しています。実業家の同名の人物については「岡田栄 (実業家)」をご覧ください。 |
岡田栄 おかだ さかえ | |
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生年月日 | 1873年1月10日 |
出生地 | 日本 高知県高岡郡松葉川村 (現・四万十町) |
没年月日 | (1940-07-19) 1940年7月19日(67歳没) |
出身校 | 東京法学院卒業 (現・中央大学) |
前職 | 弁護士 |
所属政党 | 立憲政友会 |
選挙区 | 高知県郡部選挙区 |
当選回数 | 2回 |
在任期間 | 1912年 - 1914年12月25日 1918年 - 1920年2月26日 |
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岡田 栄(おかだ さかえ、1873年〈明治6年〉1月10日[1] - 1940年〈昭和15年〉7月19日[2])は、日本の政治家、弁護士。衆議院議員(立憲政友会)。
経歴
高知県高岡郡松葉川村(現在の四万十町)出身。東京法学院(現在の中央大学)を卒業し、判事検事登用試験・弁護士試験に合格。神戸地方裁判所判事、大阪地方裁判所判事を経て、関東総督府審理官、関東都督府法院判官を歴任し、韓国政府法務補佐官を務めた[3]。その後、官を辞して弁護士を開業した。
1912年(明治45年)、第11回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。1918年(大正7年)の衆議院補欠選挙で再選された[4]。
その他、北海道と朝鮮で農場を経営した[1]。墓所は多磨霊園。
脚注
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出典
参考文献
- 片岡仁泉編『近代土佐人』土陽週報社、1914年。
- 『大日本人物名鑑 巻五の一』ルーブル社出版部、1922年。