市岡猛彦
市岡 猛彦(いちおか たけひこ、1778年(安永7年)または1781年(天明元年)[1] - 1827年3月18日(文政10年2月21日))は、尾張藩士・国学者。通称は藤太郎・東太郎・藤十郎・藤重郎、号は槲園・椎垣内[1][2]。
人物
1800年(寛政12年)、本居宣長の門を叩く[3]。宣長の死後、本居春庭に教えを請うた[3]。1827年3月18日(文政10年2月21日)没[3]。
著書
- 『讃酒歌百種』
- 『新古今集もろかつら』
- 『紐鏡うつし辞』
- 『雅言仮字格』
脚注
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参考文献
- 尾崎久弥 著「市岡猛彦・和雄宅址」、名古屋市文化財調査保存委員会 編『名古屋史蹟名勝紀要』芸術案内社、1954年12月25日、64頁。
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