平田九州男
平田 九州男(ひらた くすお、1909年9月7日 - 1989年10月26日)は、日本の経営者。富士写真フィルム(現在の富士フイルム)社長を務めた。
経歴
大分県中津市出身[1]。1933年に関西学院高等商学部を卒業し、1934年に富士写真フイルムに入社[1]。1954年に取締役に就任し、1964年に常務、1969年6月に専務を経て、1971年6月に社長に就任[1]。1980年5月に会長に就任[1]。
1974年4月に藍綬褒章を受章し、1979年4月に勲二等瑞宝章を受章[1]。
1989年10月26日、呼吸不全のために死去[2]。80歳没。
脚注
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- ^ a b c d e 人事興信所 1985, ひ64頁.
- ^ 1989年 10月27日 日本経済新聞 朝刊 p35
参考文献
- 人事興信所 編『人事興信録 第33版 下』人事興信所、1985年。
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