日置陸奥夫
日置 陸奥夫(ひおき/へき むつお、1903年(明治36年)1月23日 - 1957年(昭和32年)5月26日)は、日本の医学者。金沢医科大学(現在の金沢大学医学部)教授や同大学附属病院長を務めたほか、日本結核病学会を歴任した[1][2]。
経歴
郷土史家の日置謙の息子として石川県に生まれる[1][2]。1926年(大正15年)に東京帝国大学医学部卒業後[2]、金沢医科大学にて教鞭を執る[2]。後に同僚であった大里俊吾の指導により[2]、脂質代謝を研究した[2]。
1932年(昭和7年)には同内科助教授となり[2]、1936年(昭和11年)からドイツに留学し[1][2]、ミュンヘン化学研究所や、カイザー・ウィルヘルム研究所などで研究する[2]。1938年(昭和13年)に帰国し[2]、1942年(昭和17年)に金沢医科大学結核研究所員となり[1][2]、1944年(昭和19年)には第2内科主任教授となる[2]。この業績により、医学博士に認定された[2]。
著書
- 『結核の化学療法』
- 『内科診断学』
脚注
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- ^ a b c d “日置陸奥夫”. コトバンク(デジタル版 日本人名大辞典+Plus). 2021年12月12日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m “日置 陸奥夫”. コトバンク(20世紀日本人名事典). 2021年12月12日閲覧。
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