木村尚一

曖昧さ回避 ロシア文学者の「木村彰一」とは別人です。

木村 尚一(きむら しょういち、1887年明治20年[1]〉- 1972年昭和47年〉2月14日[2])は、日本の実業家大蔵官僚

経歴

1887年和歌山県出身。1908年明治大学法科卒業。高等文官試験行政科に合格し、大蔵省に入省。

大蔵省専売局参事、村井銀行理事、極東鉱業常務、中島工業監査役、大阪府理事、京都市電気局長等を歴任。

1934年、桜麦酒社長に就任。着任後1年足らずで経営を再建[3]1943年大日本麦酒との合併に伴い、常務に就任。1948年日本麦酒酒造組合設立時には副会長に就任。その他、日本工業倶楽部役員、日本青年連盟理事、サッポロビール監査役、文化放送理事などを務めた。晩年は漢詩に傾倒した。

脚注・出典

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  1. ^ 升谷安治編『大阪新人大観』大阪新人大観編纂局、1925年、58頁。
  2. ^ 『師と友 3月』32頁。
  3. ^ 『業界人物烈伝(中)』26頁。

参考文献

  • 『業界人物烈伝(中)』中央経済情報社、1940年。
  • 『産経日本紳士年鑑 第1巻』産業経済新聞社、1969年。
  • 『職業別大衆人事録 第2巻』帝国秘密探偵社、1968年。
  • 全国師友協会編『師と友 3月』全国師友協会、1972年。