武島一義
武島 一義(たけしま かずよし、1899年(明治32年)3月29日[1] - 1975年(昭和50年)6月30日[2])は、日本の内務官僚。官選鳥取県知事。
経歴
福岡県山門郡柳河町(現・柳川市)出身[1]。第五高等学校を卒業。1923年12月、高等試験行政科試験に合格。1924年、東京帝国大学法学部政治学科を卒業。東京市を経て、1926年、内務省に入省し宮崎県事務官となる[3][4]。
以後、沖縄県、茨城県、長野県で勤務。さらに、厚生省生活課長、熊本県内政部長を歴任[3]。
1943年7月、鳥取県知事に就任。同年9月に発生した鳥取地震の復興に尽力。1945年4月に知事を退任[3]。同年に公職追放となり退官した[4]。
著作
- 『経済保護事業』〈社会事業叢書〉常磐書房、1938年。
関連項目
- 笠間益三 - 漢学者。大伯父(祖母の兄)に当たる[1]。
脚注
- ^ a b c 『茨城人名辞書 再版』弘文社、1932年、タ46頁。
- ^ 『「現代物故者事典」総索引 : 昭和元年~平成23年 1 (政治・経済・社会篇)』745頁。
- ^ a b c 『新編日本の歴代知事』770頁。
- ^ a b 『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』241頁。
参考文献
- 歴代知事編纂会編『新編日本の歴代知事』歴代知事編纂会、1991年。
- 秦郁彦編『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』東京大学出版会、2001年。
- 『「現代物故者事典」総索引 : 昭和元年~平成23年 1 (政治・経済・社会篇)』日外アソシエーツ株式会社、2012年。
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