波田重一

波田 重一
生誕 1885年(明治18年)10月22日
日本の旗 日本 広島県
死没 1961年(昭和36年)2月3日
所属組織 日本陸軍
軍歴 1905年(明治38年) - 1941年(昭和16年)
最終階級 陸軍中将
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波田 重一(はだ じゅういち、1885年(明治18年)10月22日 - 1961年(昭和36年)2月3日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将

経歴

広島県出身。波田正右衛門の五男として生れる。熊本陸軍地方幼年学校中央幼年学校を経て、1905年(明治38年)11月、陸軍士官学校(第18期)を卒業。翌年6月、歩兵少尉に任官し歩兵第39連隊付となる。1919年(大正8年)11月、陸軍大学校(第31期)を卒業した。

歩兵第39連隊中隊長、参謀本部付勤務、関東軍参謀部付、関東軍参謀歩兵第30連隊大隊長、第17師団参謀、教育総監部課員などを経て、1925年(大正14年)12月から一年間、陸大専攻学生として学んだ。陸軍省軍務局課員を経て、1930年(昭和5年)8月、歩兵大佐に昇進し陸軍歩兵学校教官となる。歩兵第41連隊長、天津駐屯歩兵隊長、第9師団参謀長などを歴任し、1935年(昭和10年)3月、陸軍少将に進級。

歩兵第3旅団長、第10師団司令部付、台湾混成旅団長を歴任し、1938年(昭和13年)3月、陸軍中将に進んだ。1938年(昭和13年)11月、張鼓峰事件後に第19師団長に親補され朝鮮半島に駐留。1940年(昭和15年)9月、第5軍司令官となり満州に赴任。参謀本部付を経て1941年(昭和16年)12月、予備役に編入された。1942年(昭和17年)5月、朝鮮連盟事務局総長に就任。

1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[1]

栄典

脚注

  1. ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、「昭和二十二年十一月二十八日 仮指定者」21頁。
  2. ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。

参考文献

  • 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
  • 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。