熊の湯信号場
熊の湯信号場 | |
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くまのゆ Kumanoyu | |
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所在地 | 北海道亀田郡七飯町字仁山 北緯41度56分29.1秒 東経140度38分25.6秒 / 北緯41.941417度 東経140.640444度 / 41.941417; 140.640444座標: 北緯41度56分29.1秒 東経140度38分25.6秒 / 北緯41.941417度 東経140.640444度 / 41.941417; 140.640444 |
所属事業者 | 日本国有鉄道(国鉄) |
所属路線 | 函館本線 |
キロ程 | 22.5 km(函館起点) |
駅構造 | 地上 |
ホーム | なし |
開業年月日 | 1962年(昭和37年)7月25日 |
廃止年月日 | 1966年(昭和41年)9月30日 |
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熊の湯信号場(くまのゆしんごうじょう)は、北海道亀田郡七飯町字仁山にあった日本国有鉄道(国鉄)函館本線の信号場(廃駅)である。事務管理コードは▲140134[1]。藤城線(七飯 - 大沼間の下り別線)開通に伴い、1966年(昭和41年)に廃止された。
歴史
1956年(昭和36年)12月15日に、仁山信号場(現:仁山駅) - 軍川駅(現:大沼駅)間では、老朽化した峠下トンネル経由の旧線から新峠下トンネル経由の新線に切り替えが行われた[2]。その後増大する輸送量に線路容量が追いつかなくなったため、旧線と旧トンネルを補修し、旧線を上り線、新線を下り線とする暫定的な複線化が行われることとなり、当信号場が設置された[2][3]。その後、七飯駅 - 軍川駅間を迂回する緩勾配の別線、藤城支線が開通するにあたり、下り線は藤城支線(下り専用)専用とし、旧線は仁山信号場経由の上下線兼用の単線に戻ったため、当信号場は廃止された。
歴史
- 1962年(昭和37年)7月25日:日本国有鉄道(国鉄)函館本線 仁山信号場(現:仁山駅) - 軍川駅(現:大沼駅)間に新設[4]。同時に函館本線 当信号場 - 軍川駅間が複線化[5]。
- 1966年(昭和41年)9月30日:函館本線 七飯駅 - 大沼駅間の別線(藤城線)開通に伴い、廃止[5]。
信号場名の由来
近くにあった熊の湯温泉から。この地方のアイヌの伝承には「その昔、若者が狩りで山奥へ分け入ると、とある谷で熊が湯に浸かっていた。若者は大層驚いてこれを射殺すべく毒矢を放ったが、外れたため逆に襲われ格闘となった。若者は腰のマキリで熊を殺したが深い傷を負って気絶した。彼の住むコタンでは帰ってこない若者を心配して手分けして探しに行き、若者を見つけて介抱するとようやく気づき、経緯を話して自分も試みに湯に浸かってみると、さしもの重い傷もみるみる治って全快した。」という物語があって、これが熊の湯の名前の由来となっている[6]。
構造
仁山方面単線区間と大沼方面複線区間の接点に設けられた、仁山方面列車行き違い形の信号場である。無人の信号場で、分岐器制御は仁山信号場(当時)からの遠隔操作により行われた[3]。
隣の駅
脚注
注釈
出典
- ^ 日本国有鉄道営業局総務課 編『停車場一覧 昭和41年3月現在』日本国有鉄道、1966年、214頁。doi:10.11501/1873236。https://doi.org/10.11501/1873236。2022年12月10日閲覧。
- ^ a b 宮脇俊三 編『鉄道廃線跡を歩く』 8巻(1版)、JTB、2001年8月1日、223頁。
- ^ a b 札幌工事局70年史 1977年3月発行 P164-167。
- ^ 停車場変遷大事典 国鉄・JR編 II JTB出版 1998年10月発行。
- ^ a b 『道南鉄道100年史 遥』 北海道旅客鉄道函館支社 2003年2月発行
- ^ 七飯町史 1976年11月発行 P1130。
- ^ 1943年(昭和18年)9月30日開設、1948年(昭和23年)7月1日廃止
関連項目
函館本線(函館 - 長万部) | |
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砂原支線 | |
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