福原俊秋

 
凡例
福原俊秋
時代 戦国時代
生誕 不詳
死没 天文8年4月22日(1539年5月10日
別名 車瀬俊秋
通称:弥七郎→次郎右衛門
戒名 境翁宗仙
主君 毛利元就
氏族 大江姓毛利氏庶流福原氏
父母 父:福原貞俊
兄弟 広俊、元勝俊秋
玉木就直の娘
テンプレートを表示

福原 俊秋(ふくばら としあき)は、戦国時代の武将毛利氏家臣。父は福原氏9代当主の福原貞俊[1]。兄に福原氏10代当主の福原広俊と福原元勝がいる[1]毛利元就の母方の従兄弟にあたる[1]

生涯

毛利氏庶流の福原氏9代当主・福原貞俊の三男として生まれる[1]安芸国の車瀬に住んだことから、「車瀬」の苗字も名乗っている[1]

天文8年(1539年)4月22日に死去[1]。法名は境翁宗仙[1]

脚注

[脚注の使い方]

注釈

出典

  1. ^ a b c d e f g 近世防長諸家系図綜覧 1966, p. 108.

参考文献

  • 防長新聞社山口支社編 編『近世防長諸家系図綜覧』三坂圭治監修、防長新聞社、1966年3月。 NCID BN07835639。OCLC 703821998。全国書誌番号:73004060。 国立国会図書館デジタルコレクション