第66回天皇賞

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1972年11月26日東京競馬場で開催された第66回天皇賞(秋)について記述する。

馬齢は全て旧表記にて表記

レース施行時の状況

この年の秋の天皇賞は、八大競走勝ち馬[1]不在ということもあり混戦が予想された。そのためか、出走頭数15頭という多頭数での開催となった[2]

出走馬15頭中の1番人気は、阪神3歳ステークス勝ち馬・タイギヨウを兄に持つキームスビィミー。京都記念ハリウッドターフクラブ賞を制した関西馬で、この年の春の天皇賞2着の後押しもあり1番人気に支持された。

2番人気は、前走・目黒記念を制したカツタイコウ。このレースの勝利と鞍上の加賀武見の後押しによっての2番人気である。

3番人気は、前走・目黒記念と前々走・ハリウッドターフクラブ賞を共に1番人気で2着に敗れたタマホープ。このレースの1番人気および2番人気に敗れたとはいえ、鳴尾記念京都杯を制し菊花賞2着と惜敗しているように、実績面では引けを取らないものとなっていた。

上位3頭は以上の通り。他にもオンワードガイ、殿強襲を得意とするゼンマツ、トウショウボーイの半兄トウショウピット[3]など、八大競走こそ勝っていないものの、メンバーが揃うレースとなった。

出走馬と枠順

レース展開

レースは、スタート直後にオウジャに騎乗する古賀正俊が鞍ズレにより落馬。このアクシデントの中、パッシングゴールは一気にスパートし大逃げを打った。パッシングゴールは重賞2勝馬であるが、勝ったレースは新潟ローカル戦であり、8番人気であった。この大逃げは、思いつきではなく鞍上の新田幸春がレース前から練っていた作戦で、パッシングコールは中盤までに大差をつけて逃げる展開となった。この大逃げを見た7番人気のヤマニンウエーブの鞍上である福永洋一は、残り1000m以上の地点で最後方からロングスパートを仕掛け始めた。

最後の直線に入ってもパッシングゴールは先頭のままで、2番手で追走していたキクノハッピーが、右第1指関節イ開脱臼のために競走中止(その後予後不良)。代わって、人気馬のキームスビィミーとカツタイコウ、そして早仕掛けのヤマニンウエーブがパッシングゴールを捉えに上がってきており、直線での追い比べで逃げ粘りを図るパッシングゴールをヤマニンウエーブがクビ差差し切り優勝。両馬ともにあまり人気はしておらず、同枠の馬がさらに人気薄だったことから、枠連は万馬券と言う大波乱決着となった。2番人気のカツタイコウは3着、1番人気のキームスビィミーは4着であった。

着順 枠番 馬番 馬名 タイム(着差)
1 7 13 ヤマニンウエーブ 3:21.8
2 3 5 パッシングゴール クビ
3 4 6 カツタイコウ 1 1/2
4 6 11 キームスビィミー クビ
5 5 8 サクラオンリー
6 5 9 トウショウピット クビ
7 6 10 オンワードガイ ハナ
8 2 3 サンセイソロン 1 1/2
9 1 1 コーヨー
10 2 2 ゼンマツ
11 4 7 カヤヌマタイム 大差
12 8 15 タマホープ
中止 3 4 オウジャ 競走中止
中止 7 12 コンチネンタル 競走中止
中止 8 14 キクノハッピー 競走中止

配当金

[4]

単勝 13 1,150円 7番人気
複勝 13 280円 4番人気
05 660円 9番人気
06 180円 2番人気
連勝複式 3-7 10,210円 22番人気

脚注

  1. ^ ただし、当時の天皇賞は勝ち抜け制のために天皇賞馬は出走不能である。
  2. ^ ちなみに、3,200m時代の秋の天皇賞最大頭数での開催は翌々年の第70回の17頭である。
  3. ^ ただし、半弟のトウショウボーイが生まれたのは翌年(1973年)である。
  4. ^ “[https://www.jra.go.jp/datafile/seiseki/g1/akiten/result/akiten1972.html 1972年5回東京6日( 11月 26日) 9R 第66回 天皇賞]”. JRA. 2019年6月26日閲覧。
   

国際競走指定前:
001回(1937年) ハツピーマイト
003回(1938年) ヒサトモ
005回(1939年) テツモン
007回(1940年) ロツキーモアー
009回(1941年) エステイツ
011回(1942年) ニパトア
013回(1943年) クリヒカリ
016回(1947年) トヨウメ
018回(1948年) カツフジ
020回(1949年) ニユーフオード
022回(1950年) ヤシマドオター
024回(1951年) ハタカゼ
026回(1952年) トラツクオー
028回(1953年) クインナルビー
030回(1954年) オパールオーキツト
032回(1955年) ダイナナホウシユウ
034回(1956年) ミツドフアーム
036回(1957年) ハクチカラ
038回(1958年) セルローズ
040回(1959年) ガーネツト
042回(1960年) オーテモン
044回(1961年) タカマガハラ
046回(1962年) クリヒデ
048回(1963年) リユウフオーレル
050回(1964年) ヤマトキヨウダイ
052回(1965年) シンザン
054回(1966年) コレヒデ
056回(1967年) カブトシロー

058回(1968年) ニットエイト
060回(1969年) メジロタイヨウ
062回(1970年) メジロアサマ
064回(1971年) トウメイ
066回(1972年) ヤマニンウエーブ
068回(1973年) タニノチカラ
070回(1974年) カミノテシオ
072回(1975年) フジノパーシア
074回(1976年) アイフル
076回(1977年) ホクトボーイ
078回(1978年) テンメイ
080回(1979年) スリージャイアンツ
082回(1980年) プリテイキャスト
084回(1981年) ホウヨウボーイ
086回(1982年) メジロティターン
088回(1983年) キョウエイプロミス
090回(1984年) ミスターシービー
092回(1985年) ギャロップダイナ
094回(1986年) サクラユタカオー
096回(1987年) ニッポーテイオー
098回(1988年) タマモクロス
第100回(1989年) スーパークリーク
第102回(1990年) ヤエノムテキ
第104回(1991年) プレクラスニー
第106回(1992年) レッツゴーターキン
第108回(1993年) ヤマニンゼファー
第110回(1994年) ネーハイシーザー
第112回(1995年) サクラチトセオー
第114回(1996年) バブルガムフェロー

第116回(1997年) エアグルーヴ
第118回(1998年) オフサイドトラップ
第120回(1999年) スペシャルウィーク
第122回(2000年) テイエムオペラオー
第124回(2001年) アグネスデジタル
第126回(2002年) シンボリクリスエス
第128回(2003年) シンボリクリスエス
第130回(2004年) ゼンノロブロイ

国際競走指定後:
第132回(2005年) 日本の旗 ヘヴンリーロマンス
第134回(2006年) 日本の旗 ダイワメジャー
第136回(2007年) 日本の旗 メイショウサムソン
第138回(2008年) 日本の旗 ウオッカ
第140回(2009年) 日本の旗 カンパニー
第142回(2010年) 日本の旗 ブエナビスタ
第144回(2011年) 日本の旗 トーセンジョーダン
第146回(2012年) 日本の旗 エイシンフラッシュ
第148回(2013年) 日本の旗 ジャスタウェイ
第150回(2014年) 日本の旗 スピルバーグ
第152回(2015年) 日本の旗 ラブリーデイ
第154回(2016年) 日本の旗 モーリス
第156回(2017年) 日本の旗 キタサンブラック
第158回(2018年) 日本の旗 レイデオロ
第160回(2019年) 日本の旗 アーモンドアイ
第162回(2020年) 日本の旗 アーモンドアイ
第164回(2021年) 日本の旗 エフフォーリア
第166回(2022年) 日本の旗 イクイノックス
第168回(2023年) 日本の旗 イクイノックス

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