芳武茂介

芳武茂介
誕生日 1909年(明治42年)11月12日
出生地 現在の山形県南陽市出身
死没年 1993年(平成5年)8月3日(84歳没)
国籍 日本の旗 日本
芸術分野 戦後のクラフトデザインを牽引
教育 武蔵野美術大学教授
出身校 東京美術学校(のちの東京芸術大学
受賞 芸術選奨文部大臣賞
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芳武 茂介(よしたけ もすけ、1909年明治42年)11月12日 - 1993年平成5年)8月3日)は、日本のクラフトデザイナー。現在の山形県南陽市出身。

経歴

1935年、東京美術学校(のちの東京芸術大学)を卒業後、商工省工芸指導所に勤務。 1941年、第4回新文展に「飛鳥置物」を出品して特選を受賞[1]1945年には日本陸軍向けの囮飛行機の開発に参加した[2]

1956年ガラス工芸の佐藤潤四郎らと日本デザイナークラフトマン協会を設立した。1961年工業技術院産業工芸試験所意匠第二部長を退官、デザイン事務所東京クラフトを設立し、武蔵野美術大学教授に就任。1974年、国井喜太郎賞を受賞。1976年鋳鉄による皿、鍋で芸術選奨文部大臣賞を受賞、1980年勲四等旭日小綬章を受勲。1993年、叙・正五位

脚注

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  1. ^ 三・四部も特選を発表『大阪毎日新聞』(昭和16年10月16日)『昭和ニュース辞典第7巻 昭和14年-昭和16年』p705 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年
  2. ^ 日原もとこ「我がデザイン人生は「不悔不諦」 明石一男」『デザイン学研究特集号』第1巻第1号、日本デザイン学会、1993年、2,3頁、CRID 1390001204473393664、doi:10.11247/jssds.1.1_2、ISSN 2433-300X、2024年7月4日閲覧 

参考資料

外部リンク
  • 生涯をかけて〝暮らしに必要なモノ〟を問い続けた、芳武茂介。
  • 「見る工芸」ではなく「使う工芸」を考えた芳武茂介に学ぶ。
  • この師ありてこそ 田島賢亮(3) 芳武茂介
  • 戦後のクラフトデザインを牽引 岡部信幸  山形新聞
  • 鋳心ノ工房 芳武茂介コレクション
著作
  • 「焼もの塗もの金もの 暮しのデザインを求めて」相模書房
  • 「北欧デザイン紀行」相模書房
  • 「用のかたち用の美 芳武茂介クラフトデザイン作品集」講談社
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