| この項目では、光格天皇の典侍について説明しています。花園天皇の典侍については「葉室頼子 (花園天皇典侍)」をご覧ください。 |
葉室 頼子(はむろ よりこ、1773年(安永2年) - 1846年2月11日(弘化3年1月16日))は、光格天皇の典侍。父は権大納言の葉室頼煕。法号は厚淳院。
生涯
光格天皇の典侍となり、礼仁親王,ついで2皇子(礼仁親王・俊宮)と1皇女(能布宮)を生むも、いずれも夭折する[1]。後に民部卿典侍と称し、光格天皇の養子である承真法親王と尊宝法親王の養母となった[2]。
1846年2月11日(弘化3年1月16日)、死去。享年74。法号は厚淳院[2]。
脚注
- ^ 「近世の朝廷と女官制度」(高橋博、吉川弘文館、2009年)
- ^ a b 「日本人名大辞典」(講談社)