蒔田定矩

 
凡例
蒔田定矩
時代 江戸時代前期 - 中期
生誕 延宝5年7月29日(1677年8月27日[1]
死没 宝永7年4月17日(1710年5月4日
別名 助三郎、権佐(通称)
戒名 見性院直心宗悟
官位 従五位下備中守
幕府 江戸幕府 寄合旗本
主君 徳川綱吉家宣
氏族 戸田氏蒔田氏
父母 父:戸田忠辰、養父:蒔田定行
兄弟 戸田忠位、定矩、有田光敦
蒔田定行の養女
蒔田広尊室、定英、定慶、養子:蒔田成安室
テンプレートを表示

蒔田 定矩(まいた さだのり)は、備中国浅尾寄合旗本。旗本・戸田忠辰(蒔田定正の三男)の次男。

生涯

貞享2年(1685年)、従兄の定次が伯父の浅尾領主定行に先立って没したため、定行の婿養子となる。養父没後の元禄3年(1690年)8月6日に家督を継ぐ。10月に将軍徳川綱吉に拝謁し、元禄11年(1698年)6月に上野国勢多新田、山田郡内の領地を備中国賀陽郡に移された。同年10月2日に小姓となり、翌元禄12年(1699年)5月21日中奥小姓となる。宝永7年(1710年)に34歳で死去。家督は長男の定英が継いだ。

系譜

  • 父:戸田忠辰
  • 母:不詳
  • 養父:蒔田定行(1620-1690)
  • 室:蒔田定行の養女(蒔田定次の娘)
    • 女子:蒔田広尊室
    • 長男:蒔田定英
    • 男子:蒔田定慶
  • 養子

脚注

  1. ^ 『岡山県通史 下編』(岡山県通史刊行会、1962年)p.355
蒔田氏浅尾領3代当主 (1690年 - 1710年)
江戸初期
  • 蒔田広定1603-1636
  • 息子たちへの領地分与により大名要件(1万石以上)を失い、旗本寄合に
寄合
  • 蒔田定正1636-1640
  • 蒔田定行1640-1690
  • 蒔田定矩1690-1710
  • 蒔田定英1710-1740
  • 蒔田定安1740-1771
  • 蒔田定静1771-1797
  • 蒔田定祥1797-1812
  • 蒔田定邦1812-1824
  • 蒔田定庸1824-1831
  • 蒔田広運1831-1858
  • 蒔田広孝1858-1863
  • 江戸市中警備の功績により、再び大名に
幕末