農民講道館農業短期大学(のうみんこうどうかんのうぎょうたんきだいがく)は、埼玉県与野市円阿弥272[注釈 1]に本部を置いていた日本の私立大学である。1954年に設置され、1963年に廃止された。
概要
大学全体
学風および特色
- 教員から内務官僚となった横尾惣三郎(よこお そうざぶろう)によって、皇道精神を涵養すると共に農業技術者を育成する目的として開校した農民講道館が前身となっている[3]。農民講道館は授業や講義をほとんど行わずもっぱら実際に農作業に従事することで農業技術を習得するという独特の方式を採用し、休日も毎月1日と15日だけしかない実際の農家の生活に準じたものになっていた。その一方で修身の授業も必須であるなど、農業技術の育成と共に農民として当然修めるべき徳目を学ぶことも目的となっていた[注 4]。
- 短期大学に改組後は、1学年定員30名程度の小規模短大となっていた。当時、唯一男子を対象とした短期大学であった[注 5]。
沿革
基礎データ
当時の所在地
教育および研究
組織
学科
専攻科
別科
附属機関
研究
取得資格について
年度別学生数
大学関係者と組織
大学関係者一覧
- 横尾惣三郎:初代学長
- 北野康雄:2代目学長
- 伊東廣雄:元本短大教授
- 水野秀夫:元本短大非常勤講師[20]
出身者
大学関係者と組織
系列校
注釈
注釈グループ
- ^ a b 現在はさいたま市中央区円阿弥7-4-1にあたり、埼玉県立いずみ高等学校の校地となっている。
補足
出典
- ^ 短期大学一覧 昭和37年度 (短期大学資料 ; 第30号)より。
- ^ 日本国民に訴うより。
- ^ a b c 全国大学大観 昭和30年版より。
- ^ 学校年鑑 1959より。
- ^ 官報 1934年02月08日より。
- ^ 学校法人名簿 昭和32年度より。
- ^ 短期大学一覧 昭和29年度 (短期大学資料)より。
- ^ 短期大学一覧 昭和38年度 (短期大学資料)より。
- ^ 業務功程 昭和30年度より。
- ^ 現行法令輯覧 26-2巻 学事2より。
- ^ 教員の資格・給与・恩給詳解より。
- ^ 水野秀夫-研究者-より。
参考文献
全国学校総覧
- 文部省調査局統計課『全国学校総覧 昭和30年版』青葉書房。https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I028943005-00。
- 文部省『全国学校総覧 昭和34年版』東京教育研究所。https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I005663140-00。
- 文部省『全国学校総覧 昭和35年版』原書房。https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I061539190-00。
- 東京教育研究所/編『全国学校総覧 昭和36年版』東京教育研究所。https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I005755093-00。
- 文部省『全国学校総覧 昭和37年版』東京教育研究所。https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I036345181-00。
- 文部省『全国学校総覧 昭和38年版』東京教育研究所。https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I061539192-00。
教員養成機関
- 文部省大学学術局『教員養成課程認定大学短期大学一覧 : 附指定教員養成機関一覧. (昭和30年) / (編)』(PDF)文部省。https://nierlib.nier.go.jp/opac/opac_download_md/DG00000271/R03-0610.pdf。
戦後教育資料
- 文部省『申請大学、短期大学等一覧』(PDF)文部省。https://nierlib.nier.go.jp/opac/opac_download_md/EF10000736/006_231.pdf。
関連項目
関連サイト
- 埼玉県立いずみ高等学校|校名・校章の由来
- 学校名コード表 - 東京都教育委員会17頁(学校コード番号:8488)