遠山景三
遠山 景三(とおやま かげぞう、1852年(嘉永5年) - 1922年(大正11年))は、日本の政治家。青森県八戸町長。
来歴・人物
八戸城下に生まれる。藩学校に学んだ後に、東京の小川町にあった東京法学校(現在の法政大学)に学び、八戸に帰郷した。
1893年(明治26年)から1907年(明治40年)まで八戸町長を務める。1911年(明治44年)には青森県会副議長、1919年(大正8年)に青森県会議長となる。八戸町長の座を北村益に譲った後も強い影響力を持っていた。
政策・政治活動
八戸町長時代は時鐘を偶数時に鳴らし、町民に時を知らせていたといわれる。
県会議長時代には県会議員の人員改正、工業試験費などの予算を可決している。
関連項目
参考文献
- 「青森県人名事典」東奥日報社、2002年
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