飯田 又左衛門(いいだ またざえもん、生没年不詳)は、戦国時代の武将。武田家家臣。飯田直政の子で、雲光院の弟[1]。
天正10年3月11日(1582年4月3日)に武田勝頼が自害した後、武田家から出奔した。成瀬正一(または正成)と親しい仲であったため犬山城で与力となった [2]。