高階 光子(たかしな の みつこ/こうし、生没年不詳)は、平安時代の女性。夫に佐伯公行。
高階成忠の娘。藤原定子の子敦康親王の乳母とも言われる[1]。寛弘6年(1009年)2月、定子のライバルであった藤原道長と中宮彰子を呪詛するために、源方理らと厭符の製作を僧円能に依頼したことが発覚し、捕らえられ官位を剥奪された[2]。