1953年の南海ホークス
1953年の南海ホークス | |
---|---|
成績 | |
日本シリーズ敗退 | |
日本S | 2勝4敗1分(対巨人)[1] |
パシフィック・リーグ優勝 | |
71勝48敗1分 勝率.597[2] | |
本拠地 | |
都市 | 大阪府大阪市 |
球場 | 大阪球場 |
球団組織 | |
経営母体 | 南海電気鉄道 |
監督 | 鶴岡一人(山本一人) |
« 1952 1954 » | |
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1953年の南海ホークスでは、1953年の南海ホークスの動向をまとめる。
この年の南海ホークスは、鶴岡一人監督の8年目のシーズンであり、3年連続5度目のリーグ優勝に輝いたシーズンである(当時は山本一人)。
概要
それまで二塁を守り続けてきた鶴岡は自身の高齢もあり、自らは引退して監督に専念。2年連続でリーグ優勝のチームはこの年も木塚忠助が1番打者として盗塁を重ね、蔭山和夫や飯田徳治、岡本伊三美などが堅実に安打や本塁打を量産した。この年鶴岡監督に代わって二塁のレギュラーとなった岡本は開幕から打撃が好調で、シーズン終了後22歳の若さで首位打者を獲得するなど優勝に貢献し、MVPも受賞。チームは4月を首位の毎日から2ゲーム差の3位で終えると、5月以降首位に浮上。一時は大映に首位を譲ったが終盤に大映・阪急に疲れが見え始めると、一気に首位を奪還し最後は3年連続でゴールイン。打撃陣は岡本、飯田、蔭山などの活躍もありチーム打率は.265でリーグ1位、228盗塁はリーグ1位。投手陣は防御率が前年より低下したが、防御率を3点台にとどめた。日本シリーズは巨人との対戦となったが、夜行列車での移動が影響したのか2勝4敗1分で敗れ鶴岡監督の胴上げはお預けとなった。
チーム成績
レギュラーシーズン
1 | 遊 | 木塚忠助 |
---|---|---|
2 | 三 | 蔭山和夫 |
3 | 右 | 笠原和夫 |
4 | 一 | 飯田徳治 |
5 | 左 | 堀井数男 |
6 | 二 | 岡本伊三美 |
7 | 中 | 黒田一博 |
8 | 捕 | 筒井敬三 |
9 | 投 | 柚木進 |
順位 | 4月終了時 | 5月終了時 | 6月終了時 | 7月終了時 | 8月終了時 | 最終成績 | ||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1位 | 毎日 | -- | 南海 | -- | 南海 | -- | 大映 | -- | 大映 | -- | 南海 | -- |
2位 | 近鉄 | 1.0 | 大映 | 0.5 | 大映 | 南海 | 0.5 | 阪急 | 0.5 | 阪急 | 4.0 | |
3位 | 南海 | 2.0 | 近鉄 | 1.5 | 近鉄 | 1.0 | 阪急 | 2.0 | 南海 | 4.0 | 大映 | 6.5 |
4位 | 西鉄 | 4.0 | 毎日 | 3.0 | 毎日 | 1.5 | 近鉄 | 5.0 | 近鉄 | 7.0 | 西鉄 | 13.5 |
5位 | 阪急 | 4.0 | 阪急 | 5.0 | 阪急 | 4.0 | 毎日 | 7.5 | 毎日 | 8.0 | 毎日 | 14.5 |
6位 | 大映 | 4.5 | 西鉄 | 7.0 | 西鉄 | 6.5 | 西鉄 | 11.5 | 西鉄 | 12.5 | 東急 | 20.0 |
7位 | 東急 | 5.5 | 東急 | 7.5 | 東急 | 8.0 | 東急 | 12.0 | 東急 | 13.5 | 近鉄 | 22.0 |
順位 | 球団 | 勝 | 敗 | 分 | 勝率 | 差 |
優勝 | 南海ホークス | 71 | 48 | 1 | .597 | --- |
2位 | 阪急ブレーブス | 67 | 52 | 1 | .563 | 4.0 |
3位 | 大映スターズ | 63 | 53 | 4 | .543 | 6.5 |
4位 | 西鉄ライオンズ | 57 | 61 | 2 | .483 | 13.5 |
5位 | 毎日オリオンズ | 56 | 62 | 2 | .475 | 14.5 |
6位 | 東急フライヤーズ | 50 | 67 | 3 | .427 | 20.0 |
7位 | 近鉄パールス | 48 | 69 | 3 | .410 | 22.0 |
[2]
日本シリーズ
日付 | 試合 | ビジター球団(先攻) | スコア | ホーム球団(後攻) | 開催球場 | ||
---|---|---|---|---|---|---|---|
10月10日(土) | 第1戦 | 読売ジャイアンツ | 3 - 4 | 南海ホークス | 大阪球場 | ||
10月11日(日) | 第2戦 | 読売ジャイアンツ | 5 - 3 | 南海ホークス | |||
10月12日(月) | 第3戦 | 南海ホークス | 2 - 2 | 読売ジャイアンツ | 後楽園球場 | ||
10月13日(火) | 第4戦 | 南海ホークス | 0 - 3 | 読売ジャイアンツ | |||
10月14日(水) | 第5戦 | 読売ジャイアンツ | 5 - 0 | 南海ホークス | 大阪球場 | ||
10月15日(木) | 第6戦 | 読売ジャイアンツ | 0 - 2 | 南海ホークス | 甲子園球場 | ||
10月16日(金) | 第7戦 | 南海ホークス | 2 - 4 | 読売ジャイアンツ | 後楽園球場 | ||
優勝:読売ジャイアンツ(3年連続3回目) |
[1]
オールスターゲーム1953
詳細は「1953年のオールスターゲーム (日本プロ野球)」を参照
- 選出選手及びスタッフ
ポジション | 名前 | 選出回数 |
---|---|---|
監督 | 山本一人 | |
投手 | 柚木進 | 3 |
捕手 | 筒井敬三 | 3 |
松井淳 | 初 | |
一塁手 | 飯田徳治 | 3 |
二塁手 | 岡本伊三美 | 初 |
三塁手 | 蔭山和夫 | 3 |
遊撃手 | 木塚忠助 | 3 |
外野手 | 堀井数男 | 2 |
- 太字はファン投票による選出。
できごと
選手・スタッフ
表彰選手
リーグ・リーダー | |||
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選手名 | タイトル | 成績 | 回数 |
岡本伊三美 | 最高殊勲選手 | 初受賞 | |
首位打者 | .318 | 初受賞 | |
大神武俊 | 最高勝率 | .704 | 初受賞 |
ベストナイン | ||
---|---|---|
選手名 | ポジション | 回数 |
松井淳 | 捕手 | 初受賞 |
飯田徳治 | 一塁手 | 4年連続4度目 |
岡本伊三美 | 二塁手 | 2年連続2度目 |
木塚忠助 | 遊撃手 | 6年連続6度目 |
堀井数男 | 外野手 | 初受賞 |
脚注
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セントラル・リーグ | パシフィック・リーグ | ||||||
優勝 | 読売ジャイアンツ | 2位 | 大阪タイガース | 優勝 | 南海ホークス | 2位 | 阪急ブレーブス |
3位 | 名古屋ドラゴンズ | 4位 | 広島カープ | 3位 | 大映スターズ | 4位 | 西鉄ライオンズ |
5位 | 大洋松竹ロビンス | 6位 | 国鉄スワローズ | 5位 | 毎日オリオンズ | 6位 | 東急フライヤーズ |
7位 | 近鉄パールス | ||||||
:日本一 :日本シリーズ出場 | |||||||
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各年の福岡ソフトバンクホークス | |
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1930年代 | |
1940年代 | |
1950年代 | |
1960年代 | |
1970年代 | |
1980年代 | |
1990年代 | |
2000年代 | |
2010年代 | |
2020年代 | |
1945年は戦況悪化のため、公式戦を休止。合同チームによる非公式戦のみ開催。 |
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1950年代 | |
1960年代 | |
1970年代 | |
1980年代 | |
1990年代 | |
2000年代 | |
2010年代 | |
2020年代 |
この項目は、野球に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ野球/P野球)。 |
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