1999年のバレーボール
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1999年のバレーボール(1999ねんのバレーボール)では、1999年(平成11年)のバレーボール関連の出来事をまとめる。
できごと
- ラリーポイント制が、国際ルールとして導入。
- ルール改正で、サーブのネットインが認められるようになる。
- 小田急ジュノーが休部。
- 東芝女子バレーボール部(「東芝シーガルズ」)が休部。6月、Vリーグ初のクラブチーム「シーガルズ」として再出発。
- バレーボール女子欧州選手権の準決勝で、 クロアチアのBarbara Jelicが1試合53得点をマーク(2012年の時点でバレーボール国際大会としては世界記録)[1]。
国際大会
国内大会
日本
- 第5回Vリーグ
- 男子
- 優勝:NECブルーロケッツ
- 女子
- 優勝:東洋紡オーキス
- 男子
- 第48回全日本選手権
- 男子
- 優勝:NECブルーロケッツ
- 女子
- 優勝:ダイエー
- 男子
死去
- 1月25日 - 飯塚和生 (26)
脚注
- ^ FIVB - Dominican De la Cruz ties scoring record with 54 points
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