T-27 ウクライナで展示されるT-27
種類 豆戦車 原開発国 ソビエト連邦 運用史 配備期間 1931 - 1941 配備先 ソビエト連邦 関連戦争・紛争 第二次世界大戦 開発史 開発者 Sir John Carden-Loyd, N. Kozyrev, Factory No. 37, Moscow 製造業者 Bolshevik Factory, GAZ 製造期間 1931 - 33 製造数 2,540 輌 派生型 T-27A 諸元 (T-27A[1] ) 重量 2.7トン 全長 2.60 m 全幅 1.83 m 全高 1.44 m 要員数 2 名 装甲 6 - 10 mm 主兵装 7.62 mm DT機銃(2,520発) エンジン GAZ-AA 出力重量比 15 hp/tonne 懸架・駆動 bogie 燃料タンク容量 46 L 行動距離 120 km(74.5 mi) 速度 42 km/h(26 mp/h) テンプレートを表示
T-27 は、大戦間期 に量産 されたソ連 の豆戦車 (Танкетка)である。
概要 1920年代 、ソ連軍 は初の国産戦車 MS-1またはT-18(ルノー FT-17 軽戦車 を模倣 した独自発展型)と組み合わせて使う偵察 ・連絡用のタンケッテ を求めた。試作 戦車T-16を元に、無砲塔 のT-18のようなT-17タンケッテが作られ、T-21やT-25がペーパープランのみに終わり、さらにT-17の発展型であるT-23が試作された。
その後、イギリス で偵察用として量産された低コスト の豆戦車・カーデン・ロイドMk.IV が現れた。これは軍縮 で安価な戦車が求められたこともあり、16もの国 に輸出 され、各国で模倣・改良された。ソ連 でも購入した26輌のカーデンロイドを25-VまたはK-25と命名して運用し、これをもとに改良したのがN.コズイレフの設計チームによるT-27 である。DP28軽機関銃 を1丁備え、カーデンロイドのようなオープントップではなく、上部まで装甲 板に守られ、防御力を高めていた。フォード・AA用の40馬力 ガソリンエンジン を備え、機関銃 を扱う車長 と操縦士 の2人が乗り込んでいた。
1931年 に採用されて大量生産 されたT-27は、ソ連機甲部隊 の創設期において重要な地位を占め、30年代 前半には中央アジア で反共勢力 との戦いに用いられたが、やがてその役割はより大型な新型戦車にとって代わられていった。最大10 mm しかない装甲や射界の限定された武装の貧弱さはもちろんのこと、小型すぎて雪 中や泥濘地で車体底面が接地して行動不能になるなど、機動性でも劣っていたためである。また、オチキス 37 mm 戦車砲や76.2 mm 歩兵砲 や無反動砲 、ロケット弾 を搭載した自走砲 型も試作されたが、採用されたものはない。
退役後 本車は1930年代 の末までに実戦 部隊から退き、訓練 用に用いたり、多くが1940年 6月までに45mm対戦車砲 用の牽引車 に改造された。また、重工業 を持たないモンゴル人民共和国 の、人民革命軍の機甲連隊創設時に供与されている。
T-27豆戦車を搭載したTB-3爆撃機。1935年 爆撃機 に搭載して空挺戦車 にする実験が行われたが、実用化しなかった。
脚注 ^ Zaloga 1983, p 123. 量産車両
戦車
自走砲 化学兵器戦車 OT-26/130/133 OT-27 OT-37 装甲車
試作車両
戦車
豆戦車・軽戦車 T-16 T-17 T-19 T-21 T-22/23 T-25 T-33 T-34 T-41 T-43 T-46 T-51 T-116 D-10/11 PPG 快速戦車 中戦車 重戦車・多砲塔戦車 T-29 T-30 T-39 T-42 T-100 TA-1/2/3 TP-1 SMK D-4
自走砲 SU-1/6 SU-2 SU-3 SU-7 SU-8 SU-14 SU-45 SU-100Y MHT-1 AT-1 装甲車 その他 RBT-5 LT-1 ST-26 ST-27 - IT-28