奥村明敬

奥村 明敬 (おくむら あきよし、天和元年11月22日(1681年12月31日) - 宝永3年3月15日(1706年4月27日))は、加賀藩年寄。加賀八家奥村分家第4代当主。

父は奥村悳輝。母は品川雅直の娘。兄弟は奥村温良横山貴林奥村有定。幼名茂松。通称兵部。字は存義。号は誠斎、稽善、憲章。

生涯

天和元年(1681年)11月22日、加賀藩年寄奥村悳輝の三男として金沢に生まれる。兄2人が夭折したため父の嫡男となる。悳輝と同じく学問に熱心な人物であった。元禄5年(1692年)、13歳で藩主・前田綱紀に御目見する。元禄11年(1698年)、19歳で父に従い江戸に下向する。宝永2年(1705年)6月13日、父の死去により家督と知行1万7450石を相続し、人持組頭となる。宝永3年(1706年)、病に倒れ3月15日に没する。享年26。法号は明憲章軒慈観居士。藩主綱紀は、明敬病臥の知らせを聞いて病状を問う使者を送り、没したことを知ると喪に服した。家督は実弟温良が相続した。

参考文献

  • 『加賀藩史稿』
丸の内九枚紋奥村分家第4代当主(1705年 - 1706年)
宗家

永福 - 栄明 - 栄政 - 栄清 - 時成 - 有輝 - 有定 - 修古 - 栄輇 - 尚寛 - 栄実 - 栄親 - 栄通 - 栄滋 - 栄同 - 純松 - 栄純

分家

易英 - 庸礼 - 悳輝 - 明敬 - 温良 - 保命 - 易直 - 煕殷 - 成象 - 隆振 - 質直 - 惇叙 - 直温 - 篤輝 - 則友 - 則英 - 内膳 - 弘 - 隆弘