アンドリュー・ショブリン
アンドリュー・ショブリン Andrew Shovlin | |
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ショブリン(表彰台左端の白いシャツの人物。2016年日本グランプリ) | |
生誕 | (1973-11-01) 1973年11月1日(50歳)[1] イギリス・マージーサイド リヴァプール[2][1] |
国籍 | イギリス |
職業 | 自動車技術者(車両運動力学) |
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アンドリュー・フランシス・ショブリン(Andrew Francis Shovlin[3]、1973年11月1日 - )は、イギリスの自動車技術者であり、自動車レースのフォーミュラ1(F1)のエンジニアとして知られる。通称は「ショブ」(Shov)[1]。
経歴
リーズ大学で機械工学の学士号、次いで車両運動力学とそのシミュレーションの研究で博士号を取得して1998年に博士課程を修了[3][1]。学生時代は博士課程の研究として軍用兵站車両の開発に協力するなどした[4][3]。また、1997年にはフォーミュラSAEに参加した[3]。フォーミュラSAEは米国発祥であり、この時のリーズ大学のエントリーはヨーロッパの大学としては初参戦となった[3][5][注釈 1]。
レースエンジニア
1998年にブリティッシュ・アメリカン・レーシング(BAR)に加わってF1におけるキャリアを始め、同チームの最初期メンバーの一人として翌1999年の同チームのデビューに参加した[6][1]。
当初は開発部門に所属し、ビークルダイナミシスト(車両運動力学の専門家)を務めていたが、2001年からアシスタントレースエンジニアを務めるようになり[1]、2004年にジェンソン・バトン担当のシニアレースエンジニアとしてサーキットに詰めるようになった[1][4]。その後、2009年にかけて5年に渡ってバトンのシニアレースエンジニアを務め[7]、浮沈の多いシーズンを過ごした末、バトンは2009年にブラウンGPとなったチームでワールドチャンピオンを獲得した[8][1]。
2010年にチームはメルセデスのワークスチームとなり、バトンはマクラーレンへと去ったため、この年は新たに加入したミハエル・シューマッハ担当のシニアレースエンジニアを務めた[8][1]。
トラックサイドエンジニアリングディレクター
2011年にチーフレースエンジニアとなり[1]、2017年にトラックサイドエンジニアリングディレクターに昇進した[1]。この役職はサーキットにおいてエンジニアリングチームのパフォーマンスを最大限引き出すことを目的としたものであり、車両パフォーマンスに影響を与えるあらゆることに責任を負っている[8][注釈 2]。レース週末においては、車両のパフォーマンスを万全に引き出すことについて責任を負っており[注釈 3]、サーキットのピットガレージのエンジニアたちとチームの本拠地であるブラックリー(英語版)のファクトリーのエンジニアたちを円滑に橋渡しする役割も持っている。その後、2022年現在も同職にある。
人物
バトンのレースエンジニアを長く務めたことから、その自伝の中でも言及されており、頭脳明晰な男と評されている[7]。
2008年12月1日にホンダがF1からの撤退をチーム側に最初に伝えた際、ロス・ブラウン、ニック・フライ、ロン・メドウズといった少数の幹部とともにその報せに接した一人である[6][注釈 4]。ホンダの撤退が公になるとBMWザウバーから強く勧誘されたが、ブラウンとフライがチームの存続に向けて尽力していることを知っていたことから、それに賭けて申し出を断ったという[6][10]。結果として、BARに加入して以降、20年以上に渡り同じチームに所属し続けている[6]。
栄典
- 1998年・ヴィアー子爵賞(英国機械学会(英語版))[3]
- 2017年・名誉博士(リーズ大学)[3]
脚注
注釈
出典
- ^ a b c d e f g h i j k “Mercedes-AMG Petronas Formula One Team: 2021 Press Pack” (英語). Mercedes-Benz Italy (2021年3月2日). 2022年2月22日閲覧。
- ^ Nigel Burton (2015年11月27日). “Mercedes Formula One chief to visit North-East” (英語). Glasgow Times. 2022年2月22日閲覧。
- ^ a b c d e f g h “Andrew Francis Shovlin” (英語). University of Leeds (2017年). 2022年2月22日閲覧。
- ^ a b “Andrew Shovlin” (英語). University of Leeds. 2022年2月22日閲覧。
- ^ “History of Formula SAE” (英語). Formula SAE / SAE International. 2022年2月22日閲覧。
- ^ a b c d e Simon Arron (2019年10月). “Lunch with... Brawn GP” (英語). Motor Sport Magazine. 2022年2月22日閲覧。
- ^ a b ライフ・トゥ・ザ・リミット(バトン/児島2019)、第二部「栄光に向かって」、「最高のマシン」
- ^ a b c Jon Wilde (2018年5月24日). “F1 Insight: Engineering the win with Silver Arrows and Andrew Shovlin” (英語). Monster Energy. 2022年2月22日閲覧。
- ^ “INSIGHT: The Trackside Engineers” (英語). Mercedes-AMG Formula One Team (2018年). 2022年2月22日閲覧。
- ^ “The untold stories of Brawn GP: How close the fairy tale came to never happening” (英語). ESPN (2020年3月30日). 2022年2月22日閲覧。
参考資料
- 書籍
- Jenson Button (2018-01-15). Life to the Limit: My Autobiography. Blink Publishing. ASIN 1911600346. ISBN 1-91160-034-6
- ジェンソン・バトン(著)、児島修(訳)、2019-04-12、『ジェンソン・バトン自伝 ライフ・トゥ・ザ・リミット』、東洋館出版社 ISBN 4491036969 NCID BB28402646 ASIN 4491036969
- 配信動画
- Mercedes-AMG Petronas Formula One Team - YouTubeチャンネル
- My Job in F1: Andrew Shovlin | Trackside Engineering Director (英語). Mercedes-AMG Petronas Formula One Team. 27 May 2021.
外部リンク
- Andrew Shovlin - University of Leeds (英語)
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2010年 - 現在 ワークスチーム |
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1994年 - 現在 エンジン/PU供給 |
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1952年 - 1955年 ワークスチーム |
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※役職等は2024年2月時点。 ※太字のドライバーはメルセデスにおいてドライバーズワールドチャンピオンを獲得。 |
ブラウンGP | |||||||
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第五期 2026年 - パワーユニット供給 |
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HRC 2022年 - 2025年 パワーユニット供給 |
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第四期 2015年 - 2021年 パワーユニット供給 |
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第三期 2006年 - 2008年 ワークスチーム 2000年 - 2008年 エンジン供給 |
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HRD 1998年 - 1999年 試作・試走のみ |
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無限ホンダ 1992年 - 2000年 エンジン供給 |
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本田技術研究所 1991年 - 1994年 試作・試走のみ |
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第二期 1983年 - 1992年 エンジン供給 |
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第一期 1964年 - 1968年 ワークスチーム |
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関連項目 |
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※ 第2期・第3期・第4期の「主な関係者」は、基本的に各部門の「長(ディレクター)」以上にあたる人物のみに絞って記載(多数に及ぶため)。 ※ 「関連組織」の( )には略称、[ ]には関連する下部組織を記載。 ※1 ホンダ本社の役職者と本田技術研究所の人物を除く(兼務者が多数に及ぶため)。 ※2 ホンダ所有のサーキット。第1期と第2期に主要なテストコースとして用いられた。 ※3 ホンダ所有の展示施設。第1期から第4期の車両を所蔵(基本的に動態保存)している。 |
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